議論の余地はない、と書く御用学者よ。

産経は原発と再エネの広告新聞だから、当たり前のことか。ふと『金曜日』の記事と似ているな、と思った。今のガソリン高を上手く分析したつもりなのだ。どちらも商業用で卑しさが滲んでいる。記事の軽いことよ。プロパガンダとは、所詮こんなものかと鼻白む。

カネで雇われているのだ。そこには被害者などあるはずもない。「これは国家犯罪だ」と叫んでいた汐見先生が懐かしい。最近では誰もそんなこと言わないからね。各地のエセ風力反対運動では「土砂崩れが心配だ」と言っている。汐見先生が見たら卒倒するだろう。

低周波被害だ!、と喝破することだろう。しかしそんな空気はどこにもなくなっていた。あの戦争の時と同じだ。いや、今、この転落が戦争の最中だという人は多い。日本人、日本社会がいかに転落したかは見ての通りだ。由良町からの報告『風力発電の被害』には、関係者の狂想と弾圧の記録が当時の目線で書いてある。

あれから十年が経ち、伊豆や伊方と同じようにすっかり被害は否定されている。谷口さんらの必死の訴えは誰も覚えてもいない。鼻に引っ掛けるものもいない。私なんかは山の中で一人甘夏採りに燻ぶっている。風者病、低周波被害で苦しくてならない。人々にはそれが面白くてならないのだ。

アホよら、と言われ続けているんだから、よっぽどの悪意がしみ込んでいる。これが「いつまでも住みたい町作り」地域活性化、だというんだから大したものだ。『金曜日』はすっかりヘンテコな記事になりましたなぁ。支援者からの依頼で見たものだけれど、原発の関連誌と変わらない。

反原発と言いながら、なんだこりゃ、と言う中身になっている。特殊な人たちの、特別な記事の寄せ集めに「オゾマシサ」が具体的に書かれている。オタク趣味だよ。すでに論理は破綻しているのだ。カルト、と言うよりヘンな人の集まりや。各地でやっているエセ風力反対運動と同じ有様よ。

最初から気が付いている人もいるだろう。「あの人たちは何者で、いったい何を目的にしているのか、それを知ることがまず先決でしょ」と言うことだ。日本だけ、「風車を止めろ」Stop wind turbines ! と言う言葉がない。彼らには被害者に寄り添うなんて考えはないし、被害を訴えることも、環境のことも屁理屈もない。

地域対策の手先、トリックでしかないことが透けて見えるのだ。「議論の余地はない」それが彼らの目的だったのだ。国策にロクなものはない。まともな話をしようじゃないか。風力発電の低周波被害で苦しんでいる。被害者を弾圧するのは止めろ。憎悪を煽るのは止めろ。