風力運動の何が問題なのか。

私もたまたまテレビで一茂発言を見た。なかなか言えないことだと反感を覚えながら、こんな記事になると、さてさて「勇気」よな、と思うのだ。楠木正成、乃木希典、三島由紀夫、と脈絡のない人物評が続く。祖母の実家が正成の子孫なので、聞いた話からは勇気だけではないことは知っている。その時どう対応するのか、という決心だ。

空手や拳法の練習では、短刀で襲い掛かる人に対して、腕をひねり上げる技を何度も繰り返す。実際、本番に遭遇することはないから、殺意とか、狂気とか、恐怖心はそこにはない。私ならどうしただろうか。刃物を持っている人の方が断然強いのが分かっている。だからピストルで射殺されるのも分かっていたんやろうね。

そこで日本の風力反対運動よ。伊豆や伊方など各地で、低周波被害、風車病に苦しみ、死んだり転居した被害者がいるのに誰も抗議することができない。地域対策として弾圧が行われたとしても、誰かが「義により助太刀いたす」と言ってもよいではないか。「国を相手に勝つことはないやろ」そう言って笑う人を見てきた。

それどころか各地の自称、風力反対運動では、「土砂崩れが心配です」とあるはずのない作り話を繰り返している。風車病を力ずくで否定するのだ。被害者の方は弱り果てているからそれは堪らんわな。さぞや心の中は黒ずんでいることだろう。いや、とうに人間性をなくしているだろう。添付したドイツの反対運動。抗議デモを見るがよい。

Kein windpark(風力発電はいらない)と検索するとドッサリと出てくるで。日本の環境運動会とは何たる違いよ。民度の差、レベルの違いがこうまで表れているのだ。このように紹介しても、日本人ではこれまで誰も賛同するものはいなかった。「勇気」のある人はいなかったのだ。もちろん正義感などどこにもなかったさ。

そこで見たのは転落した人々、囚人のような社会の有様だった。被害者でさえ、最初から「私たちは風力発電には反対ではありません」と私に宣言したのだ。ピエロにされた被害者の姿だったよ。それを見て周囲の人々は笑いものにして喜んでいた。警察でも検察でも、「誰も被害を訴えていないでしょ」というんだから感極まったものよ。

答えは初めからある。「ドイツに習え」というスローガンはアホの言うことだ。この図にあるドイツ人の感覚こそが正しい。被害があれば怒り、抗議するのが当たり前なのだ。「沈黙は金」ではない。それは黙らせられている弾圧政策だ。日本人として素朴な正義感、気概を持とうではないか。風力発電を拒否しよう。金儲けのダシにされている現実を見てほしいのだ。