国民の覚悟が問われている。

痛みに耐えるしかない、と続くのだが、どうもおかしいな、と思わないか。日本人はすっかり抵抗力、というか精神の背骨が抜き取られていて、「ハイ」としか言えない人々になったかのようだ。雉も鳴かずば撃たれまいに、そう考える人ばかりだ。添付記事の再エネ論には疑問でいっぱいだ。

地熱、波力、と風力や太陽パネルとは違った見方がある。川湯温泉に行くと、川底から熱い湯が噴出していて、熱くて座っていられない。相当な熱が谷間に放出されている。日本全国にはこんな風景はあちこちにあるだろう。小水力発電のように、簡単に手軽に取り付けられる発電機があればと思う。

工業的でなく、小規模でよい、一つの集落、できれば町中に電気が届けばよい。波力発電でも、要は圧力差だから、干満差、沿岸流、波圧が利用できる地域もあるだろう。私は技術開発部にいたからこういう話は大好きだ。ぜひ小さくともよい、夢のあるエネルギーを考えたいものよ。

風力発電やメガソーラーといった、カネ儲けのツールになって被害者を弾圧して喜ぶなんてもうコリゴリだよ。海外ではエネルギー危機に喘いでいるという。天然ガスが高騰して、電気代まで異常事態になっているらしい。それでもヨーロッパ諸国は電気もガスもネットワークになっているからね。日本とは違うわな。

もし日本が真似して、韓国やロシアとパイプラインで繋いだらどうなるか。リスクの方が大きいから、日本人は手を出さないと思う。歴史が証明しているからさ。電気は形のないものだ。溜めておくことはできない。それを24時間連続して過不足なく利用できるなんて、それこそ奇跡的な社会インフラを維持していることに気が付いたものよ。

小春日和、といって風の吹かない穏やかな天気がある。夜になると日光はない。その点、海の波、温泉の熱はいつもフリーだよ。人の迷惑のかからない範囲で、実現したいものよ。