カブール陥落からの学び

砂上の楼閣と書く。20年間の米軍統治がすっかり崩壊してしまったんだから、よっぽどアフガンの傀儡政権は機能しなかったんだろう。どれだけの費用を費やしたんだろう。日本だって、たくさんの援助をしたんでしょ。それを賄賂に費やされていたと書くんだから無責任な話よ。

それも100万や200万円のカネではない。我々日本の庶民からすると、天文学的な資金援助が利用されて闇に消えていた。アフガン政府軍も一般市民も、何の役にも立たなかった。今更ウソつくな、金返せ、なんて言っても笑われるだけだろう。記事には、「力なくしては平和も安全もない」と書く。

それは事実としても、アフガンで行われたことは、目の前で、日々行われていた事業の積み重ねだ。何の検証もなく、ひたすら支援をしてきたんだろうか。その結果として、市民は抵抗することもなくタリバン勢力を受け入れた。問題は明らかではないか。前ページに書いたように、イスラムの女性は拉致されても、とくに被害とは思っていないようなのだ。

それは彼らの社会習慣のようなものだ、と私には思えて驚いたものよ。話を転じて極東の有事の教訓と書く。大陸と日本のせめぎあいは、古代から何度も繰り返されている。今更、台湾がどうのという珍事でもあるまい。しかし日本人が戦う気がなければ、米軍はさっさと帰ってしまう。

当たり前のことではないか。日本のことは日本人が考え行動するしかない。今回は、天皇も靖国も使えないやろう。新しい仕組みを構築するんだろうか。「日本は日本人のためだけにあるのではありません」ということか。ポッポは、案外正確に日本を見ていたらしい。