『入れ札』

選挙は本人がやって見なければその感激は分からない。何事も本人の意思次第だから、こんな面白いイベントもないと思っている。今日の記事にある菊池寛の『入れ札』は、中学校か高校の時の国語の教科書にあった。その時、私には話の面白さは分からなかった。

しかし今、こんな記事になって、「日本精神分析」で、言論の自由を最終的に保証するのだ、と指摘されると、そんなものかいな、と、これまでの出来事を振り返って思い出すのだ。私は選挙に出て、総スカンを食ったからね。その内容は、このページで何度も書いてきたとおりだ。この小説では、クロスケは自分の名前を書く。

それなのに下っ端の奴が近寄ってきて、「俺が入れてやったんだ」と恩を売りに来る。単純なストーリーだが、人の心の綾があぶり出されて、とても嫌な気持ちになる。だから選挙は面白くて必要なのだと今わかるのだ。さらにこの時、親分はどう見ていたんだろうか。それがこの小説にはない。

選挙では、多くの人に見られるけれど、当人だって、それらの人のことが良く見えるようになる。いい意味でも、悪い意味でもね。現実は、小説より奇なり。風力発電の低周波被害では、風車病に苦しむ人たちから悲惨な症状を聞かされた。その人たちが次々に亡くなっていく。泣いて頼まれたことも再三あった。それなのに、選挙になるとまるで違っていた。

まったく無視、どころか、「関係ない」だの「あほよら」だの、ボロクソだったよ。いやぁ、エライことになったもんだとハラワタが痛くなって軋んだものだった。由良町では誰も味方になって応援するものはいなかった。被害があるのに「被害を訴えているのではない、話し合いをしているのだ」と手のひら返しよ。私の住む門前地区などでもそれは徹底していた。私の排除だった。

田んぼで稲刈りしていても、「お前、私の悪口を言ったそうやないか」と怒鳴りつけに来る人が何人もいた。谷口愛子さん宅にはかつて、11人の人が「由良守生が悪口を言っている」と伝えに来たそうだ。風力で関係した環境運動家たちは大喜びだったよ。この頃になると、風力事業のカラクリにも気が付いていた。原発の時と同じやな、反対する人がいないだけなんや、と思った。

Youtube動画にも投稿したから、多くの関係者が見てくれたことだろう。私のホームページは汐見先生や窪田泰さんから伝えられた真実を保存するために維持しています。小林先生の率いた香芝高架橋の低周波事件では、その後、関係者はボロボロにされていた。これも原発の時と同じことだと思う。全員が逃げとんでいた。風力発電の被害地では、どこも同じ被害にやられていた。

低周波被害と、被害を否定する行政、地域の人々、そして被害者の裏切りだ。最初、低周波被害者の会の窪田泰さんが、「伊豆の人たちは嘘つきだ」、と怒っていたから、いったい何のことやろと思っていた。その答えは、今、当時の関係者に電話して聞いてみたらよく分かる。「もう被害を言う人はいません」とさ。古くなった風力発電は、新しい風車に建て替えられるという。

誰も反対しなければ抗議する人もいない。コテンパンにやられていたのだ。こうまでして風力発電にやられて風車病になった人が苦しみ消されていく、この現実を誰かが訴えなければならないだろう。これが私の決心だった。海外では、Stop wind turbines ! (風力発電を止めろ)と抗議しているから、すでに答えはある。日本が異常なのだ。水俣病と同じやり方よ。

世界の笑いものになっているのにそれが分からない。風車病になると人は狂っていく。ロボットのように受け売りの言葉だけの薄っぺらい人に変貌する。恐ろしい公害病だ。それを周囲の人々は目の辺りにして笑いものにして喜んでいるのだ。「関係ない」と。由良守應は安政の大獄で和歌山から追放されてしまう。ひどい罪状が残されている。

しかし慶応4年、鳥羽伏見の戦いの後、紀州藩主、茂承(もちつぐ)の供をして参内した。そして大蔵大祐になって活躍している。こんなものなのだ。結局、私は先祖のやってきたことをそのままに生きていたということだ。南朝方で戦ってきた歴史は本物だと信じている。全国には南朝方の子孫がたくさんいるだろう。ぜひ、声をかけてください。お待ちしています。