日本経済の怪

母親が時々こぼしていた言葉によると、「うちに、お金のあったためしはない」と嘆いたものだ。実際、子供のころから我家は貧乏だった。私も妹も授業料免除だった。しかし我家を知る古い知人の言葉では、それは性格的なものらしい。上には上があり、下には下がある、ということだ。

さて、私は経済学が苦手だ。みかんやコメの取引をして、商売して、それで生活しているけれど、儲けたな、なんて感覚はない。やはり個人的な性格が原因だと考えている。もうすぐ秋になると、毎年のように柿や蜜柑の百円売り場を始める。アンテナショップの感じもあって、コンテナで売ってくれ、なんて依頼も来る。

20㎏入りで500円なら、売れるわな。人数の少ない由良町では、たかが知れてるけど。近くのふるさと産品店に行ったら、一袋70円の商品にして売っていた。100円袋では高すぎる。デフレがこんなところにも押し寄せているのかと思ったよ。かと言って大阪のデパートでは、一玉、500円とか1000円で売っている蜜柑がある。

商売のトリックよ。みかんの商売のアホらしさを書くとキリがないけれど、添付の記事だって、すごい内容になっている。田舎者の私でも、なんで? という不思議な世界よ。日本にはカネが有り余っているというのだ。道理で消費税よりも高い、再エネ賦課金14%を集めても、誰も非難する人はいない。

風力発電なんか風もなく発電しなくても、誰もバカは止めろ、なんて言葉はない。金持ち喧嘩せずなのだ。被害があっても、じっと我慢して知らん顔する。中国や朝鮮の残酷な事件を見ても「関係ない」と言っている。実際、どうしようもない部分があるからね。

しかし地域の被害者を弾圧して喜ぶさまを見るにつけ、これはいかんわな、と『風力発電の被害』を書いて事態の深刻さを訴えた。結果は、各地の風力反対運動に見られるように「土砂崩れが心配です」という言葉でごまかす人々の汚さを見ただけだった。誰も「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)なんて人はいなかったのだ。

私以外にも、たくさんの被害者がしつこく風力発電の低周波被害を訴えたのによ。これが日本の姿であった。本質を無視するのが日本人だと書く。空気で踊らされるのがアホな日本人という。金儲けのダシにされているのは、なにも被害地だけのことではないようだ。この記事を一冊の本で説明されても日本人には分かるまい。

後戻りはできない現実よ。行きつく先は、明るい未来にしたいじゃないか。