シュールな風景

Chinaの悪口がどっさりと書かれている。アメリカだって、ヨーロッパだって、同じようなことをしてきたのにさ。もちろん日本だって、つい80年前には、関東軍100万とかいって、陸士卒のエリートたちが喜んで乗り込んでいった社会でもある。その軍人は、マズイとなると、サッと引き上げていた。

反省の弁はあまり聞いたことはない。当時の新聞も記録図書も、お土産にたくさんのパンフレットみたいな冊子が溢れていたからね。国策だよ。我家にもまだ、それが残っている。日本人が、そんなアホな夢に酔っていたことは確かだ。目くそ、鼻くそを笑う、という。

それぞれがやってきたことを思えば、たとえそれが道徳違反であっても、鬼の首を取ったように居丈高に叫ぶのは、どうかとも思うのだ。中国には、たくさんの日本企業が工場で製品を作っているんでしょ。アメリカだって、iPhoneなんかを中国で作っているでしょ。ヨーロッパも同じよ。

何をいまさら、と思う人は多いだろう。Chinaは、司馬遷の『史記』の時代から変わってはいないと思っている。私は、たくさんの香港人と話してみた。彼らは国際人で、実際に世界中に親類などのネットワークを持っている。自国のことも分かっていて、内陸部の人とも交信している。

そういう社会なのだ。もし不都合があれば、体制が変わるだろう、くらいなものだ。それをよ、以前のように外国が圧力をかけて、満蒙開拓だ、なんて言われると、彼らがどう思うかは明らかだろう。ここで問題なのは、これが中国だけのことではない、という事実だ。

少数の被害者をあげつらって、「精神疾患」だの「障害者」だの、レッテルを張り付けて弾圧する日本社会の闇の深さに、誰もが知らん顔して笑っているお気楽さだ。twitterなどで散々被害を訴えたけれど、結局、誰一人として風車病に苦しむ人を助けろ、なんて言うことはなかった。

むしろ弾圧、関りになってはいけない、というような環境運動家の扇動が空気を支配していた。問題の大きさを取り違えてはならない、という彼らの考え方がすべてになっていた。私はまた一人ぼっちで風力発電の被害を訴えることになったわけだ。汐見文隆医師の出発点から、どれほど前進しただろうか。

今も各地で偽物の風力反対運動が睨みを利かせている。風力被害とは土砂崩れだ、と権力を嵩にきて叫んでいる。低周波被害で、どれだけの被害者が苦しんでも、死んでいっても、笑いものでしかない。メディアは、絶対に風力発電の低周波被害を伝えることはない。記者たちの被害者に対する罵声の酷さよ。

たかが新聞記者が、なんでこんなに偉そうにアホにできるのかと驚くのだ。マスゴミという。この記事は事実としても、何が問題なのか、何が悪いのか、まずは判断する人間性が必要だろう。