風力発電に反対しよう。被害に抗議しよう。

コロナ禍に隠れて、すっかり風力発電の被害はかき消されてしまっている。由良町での風力被害は、結局、被害者のもみ消しと社会管理のオゾマシサでしかなかったのだ。被害者を弾圧した人たちは表彰されているから、それぞれに功績を認められたんだろう。

風力発電という事業がいかに国策で、そういった顕彰に値する世界に昇華していることが分かるのだ。勲章なんて、恐ろしいシステムやね。それを町民が心から褒めて喜んでいるんだから、被害者の私が聞くたびにそいつの汚さが見えすぎるのだ。こういった倫理の崩壊が『風力発電の被害』だと私は書いた。

しかし日本では誰も賛同してくれる人はいなかった。風力発電が建設された地域では、どこにでも風車病に苦しむ人がいるだろうに、誰も助けようなんて人はいなかったのだ。それどころか、被害を訴えるのは特殊な障害者だ、とか、精神疾患の人だ、とか、様々なレッテルを張られて消されていった。

最初から被害者対策が徹底されていたのだ。「考える会」などと言ったそれ用の対策チームを作って閉じ込め、被害者は消されていた。それが地域の環境運動だというんだから大した弾圧だよ。以下に二つの資料を比べてみた。「protest wind farm」、「風力発電反対」と検索したものだ。

日本の風力反対運動は、いかにも見劣りがする。行政のぶら下がりだからね。どの運動会からも私は拒否されている。彼らは風力発電の低周波被害を訴えることはない。せいぜいが「土砂崩れが心配です」という受け売りの言葉を吹いているだけだ。

コロナで、とてもそれどころじゃない、ってか。コロナウイルスは格好の隠れ蓑になったわけだ。今日の新聞記事にも風力発電への期待するコマーシャルがあった。国策として多額の資金が費やされている。日本人に人権意識はないんかい、と悔しいのだ。各地の風力被害者は、絶対に抗議しないように管理されている。

ロボットにされていることに気が付こうぜぃ。海外の抗議運動を見てみろ。「Stop wind turbines !」(風力発電を止めろ)と書いてあるだろうが。健康被害があるから、彼らは風力反対運動、そして抗議デモをやっているんやで。日本のそれは、真似事にもならない地域対策が目的だ。