無責任な記事だと思わないか。

電気が逼迫してきた、と言うことで風力や太陽光の現実が炙り出されている。これまで散々に革新的な技術開発などとホラを吹いてきたものが、全て嘘だったんだ、とバレル瞬間でもある。それでも研究開発は日進月歩だと書くあたりは、懲りない面々のアホらしさを見て余りある。

こんなものに付き合っていたら、いつか来た道で、あの戦争の時と同じ大本営発表ばかりになっているだろう。いや、すでにそうなっているのはこの記事を見れば分かるだろうが。「おぼろげに」という。私は大臣たちの弁を聞いて、なんとアホな奴らよ、と思っている。

電気のことを知っているわけでもなく、ただの受け売り言葉で、権力をカサにして、「いったい何を言っているのか」と思うからだ。おぼろげに、気分的に、雰囲気に合わせて、と言うことだ。政治の貧困よな。これは私たち日本人を映した姿なんだろうか。

由良町では、今日も風なんか吹いてはいない。それでも北側の山々に林立する風車は勢いよく回っている。人々は誰もそのことに疑問を持つことはない。一般の電気を使って風車を回している。電気が余っているからだ。風車は、そのまま放っておくとすぐに故障するからね。

だから絶えず動かさなければならないのだ。車と同じよ。放置しておいたらバッテリが上がるでしょ。維持管理が大変なんだ。それをすべて税金で賄うんだから大した詐欺事業だよ。この風力発電で〇〇世帯の電気が賄えます、とかさ。ウソでしょ。私はそれよりも風力被害者を弾圧して殺してきた事実を明らかにしたい。

彼らは表彰され、叙勲の名誉を受け、人々から称賛されている。田舎のことだから誰でも知っている。なんで人々は、これほどまでに被害者を弾圧して虐待して喜ぶようになったのか。今も各地の自称、風力反対運動では、「土砂崩れが~」と言っては被害者がいることを隠ぺいして喜んでいる。

低周波被害、風車病を否定する学者や常連講師を招いては拍手喝さいを叫んでいる。どうなってるんやろ、と驚くばかりだ。私の書いた『風力発電の被害』、このホームページを見て、何が起こってきたのか知っている人もいるだろうに、誰一人として関心を示す人はいない。政治家と称する人は、さらに走って逃げている。

これが政治の正体だ。なぜな?あの国連で演説したグレタさんの効果抜群よ。プロパガンダにめっぽう弱い日本人よ。一に吹聴、二に宣伝、か。間違いなく、風力発電は大切な社会の信用を消し去ったのだ。我家が由良に来て千年余、最後の一人になって、残念な風景を見ることになった。