厳冬なので電気が逼迫した。

今日の産経記事なのだが、地球温暖化と言いながら、厳冬なので電気が逼迫したと書いてある。そして原発の必要性を書きながら、次のページでは大画面を使って福島原発の惨状を見せている。何だこりゃ、と思わないか。要は、お金がたくさん必要なんですわ、ということらしい。被害者のことは何も書かない。LNGのことが書いてあるけれど、それは問題の本質ではない。

今回も風力や太陽光の役に立たなさは、人々の心に刻まれたと思う。だって天気任せだからさ、いくら電気が欲しいと思っても、風が吹かなければ、太陽が照ってなければ、電気にはならない。もちろん変動が激しくて不安定で、そのままでは使えない。こうあって欲しい、こうあるべきだと思っても、それは思い込みと錯覚でしかないことは、今回の電気逼迫で見えたではないか。

本当は厳冬でなくとも風力や太陽光は何の役にも立ってはいない。石油や石炭が、いったいどれだけ削減されたのか、一切は企業秘密にされているのだ。再エネ賦課金は税金なんやで。この記事にも、電気はアブついていたと書いてある。だからオール電化にしましょうとか、風もないのに風車が回っていることになる。再エネは、自然エネルギーというだけあって、大雪や大雨にはめっぽう弱い。

北陸や東北では雪で壊れた太陽パネルの風景がドツサリ、アップされていたものよ。私は、というと、風力発電の低周波で頭が痛い。シーンッ、と耳鳴りがして気分が悪い。体がしんどくてならないのだ。今、倉庫でミカンの選果、箱詰めをしているけれど、気持ち悪くなってきて仕事にならないのだ。トタン張りの倉庫はとくに空気振動を増幅させる。共振するんだろうか。

各地の風力被害者も同じ被害に苦しんでいることだろう。それを自称反対運動という環境運動家たちは「土砂崩れが心配だ」「電磁波被害で白血病になる」「野鳥の飛来に影響する」などと言葉のすり替えをして喜んでいる。不思議なのは風力被害者たちは誰も、そんな弾圧に対して抗議の声を上げないことだ。「ヒツジにされる」かつてジャーナリストはそう言って、エセ環境運動家の正体を説明して見せた。

なに初めから知っていたさ。彼らは決して被害者を助けることはしなかった。彼らの目的はいかに被害者を黙らせて再エネ推進を実現するかであった。環境省などと繋がることで、いや、手先なのだが、それが自己実現の行動、根拠なのだった。彼らは環境運動をして楽しんでいるのだった。海外では風力被害に抗議して「Stop wind turbines !」と言っているのに、日本では一人も「風力発電を止めろ」とは言わない。

つまり合意形成を目指してキーマンとして自己主張の場を得て喜んでいたのだ。ただのコマだけどね。私は風力被害者たちが人間性を失って、「私たちは風力発電には反対ではありません」とあちこちで聞いてきた。風力発電自体は悪くないでしょ、というのだ。ご自分が塗炭の苦しみに死ぬことになっても、風力発電は悪くないという心理の闇はどれほどの屈辱があったことだろう。私にはとても言えない言葉だ。

そして周囲の人たちは、そんな被害者の変貌と屈服を見て、手を叩いて笑ったのだ。日本社会の没落を絵に描いたように見せてくれる。ヨーロッパ人やアメリカ人だけでなく、アジア人からもアホにされるのだ。これこそグローバル社会の敗北、本当の目的だったのではないかと思えてくるのだ。慰安婦問題と同じことよ。日本人が貶められている。それも日本人が日本人を弾圧して喜んでいる。

すぐに風力発電を止めてくれ。そして撤去してほしいのだ。