風力が出来たらエライことになる。

近隣の風力被害地に行ってみると分かることがある。暗闇の世界。そこだけ空気が違う。人々の気配がとてもおかしいのだ。h24年に環境運動家たちが由良町に来た時にも同じ言葉を漏らしていた。「すっかり出来上がっているなぁ」。誰だって、人間感覚としてその違いが分かるんだよ。h18年の東伊豆町の風力被害に始まり、たくさんの環境運動家、市民運動の人が風力被害の実態を見たことだろう。

私はh23年11月からの参入でね、途中参加だからそれまでの汚い闘争を見ていない。この世界で活躍して有名になった汐見文隆医師、窪田泰氏は各地の被害地域から追放されていた。「ウソつきばっかりだよ」私にそう伝えて来たもんだよ。私も東伊豆町など、各地に電話して聞いてみた。「今は被害はありません」とか。判で押したような返事が返ってくる。やがてそれも由良町の返事とダブってくる。

被害はないと言うのだった。愛知県の風力被害者に電話してみると、ヒステリックに怒鳴り散らしていた。よほどネジを巻かれているらしい。典型的やなぁ、と可哀そうになるぐらいに苦しんでいた。私も低周波被害者だからね。頭をやられる苦しさに、なんでこんな目に遭わされるんや、との思いがある。畑地区のように我慢比べ、あざ笑いがあるんだろうか。誰も助けようなどとは思わない。

近づけないほどに奇妙な取り巻きに包まれている。それが社会を暗闇にしているんやね。地域の住民には自分たちがどんな状況に置かれているか? なんて考えはない。とうに思考が奪われている。言葉狩り。言うたらアカン。ほっとけ。水俣病の時みたいに手の付けられない有様に落とし込まれている。被害者も、被害感のない人も、社会全体が暗い靄のかかった世界に生きているのだった。

ディストピア、という。そんな煌びやかなもんじゃない。人々の悪意を煽り、悪口ばかりの断絶社会よ。被害地には新築の家が多い。もし被害があるならそんなとこに家は建てないでしょ、と言う。水俣にも同じ現象があって、当時も新築ラッシュになったと言う。今は住む人もなく廃墟が目立つ。デジャブ。既視感。いつか見た風景だ。懲りない人々のサガ、業の深さを見ないか。

人々は無意識にそんな行動に出るらしい。被害があるなら抗議すればいいのに。真逆の行動に出るようだ。もちろん私と話が通じるわけもない。別世界に生きているようだ。こんな小さな田舎町だから、本当は何でも知っているだろうにな。それを外部から見ている人がいる。こんなになるんや、と。環境運動している人には、風力被害はもう珍しくもなんともない。どちらに付く、なんて判断もない。

【お花畑】環境運動に参加して楽しければよいのだ。有名大学の教授が来る。弁護士が来る。言葉巧みな環境運動家が講演する。何を言っているか分からないけど、参加したら高揚感があってワクワクするじゃないか。被害者の話を直接聞いたら、ワッ、こんなことがあるんや、と驚く。自分とは関係ないからね。珍しい話を聞いて楽しかったやないか。風力発電の必要性も分かったし、被害のウソっぽさも見た。

サステナブルなんか。水素の世界だとか。結局、何もかも分からずじまいで興奮した記憶だけがある。環境運動会って何だったんだろう。キャンペーンだったんだよ。地域対策。趣味、娯楽と変わらない。ドイツやフランスの風力反対に触れることはない。ここは日本だからね。ご都合主義か。「ドイツに習え、ドイツでは上手く行っている」と言っていたのに。フランスのモンサンミッシェルでは見える範囲で風車の建設は禁止されているんだって。

日本では山の上の祠を取り壊して風車を建設しているで。観光資源の建設だって。よく分からない。日本人が風力発電を見にくるんだって。風力発電は、地域を暗がりの世界に包み込む。低周波音の被害と弾圧。国策だからね。被害者だけでなく、無症状の人にまで思想統一がある。その前に狂ってしまっているけどな。日本では、なぜ誰も抗議一つできないんだろう。汐見先生の話を聞きながら、これは悪いな、と由良町の悪事に思いを馳せた。

私に何ができるだろうか、と思案した。こぶしを振り上げて怒りを見せる汐見さんに、これは間違いない、と確信を深める。だがこんな日本人は他にいない。「アホよら」と言うばかりよ。私の決意は、そのアホ役を私がやらせてもらおうと言うことだ。太平洋戦争の末期と同じで、政治も行政も責任感はどこにもない。環境省の報告書やQ&Aを見れば、当時の大本営発表と同じパターンになっている。

そのウソに気が付く人はいくらでもいる。頬かむりして逃げ去るだけかい。新しい人よ、風力被害に立ち向かおうじゃないか。すべてがウソだから、突っ込みどころ満載やで。これまでの行政や政治家のアホらしさを笑おうじゃないか。土砂崩れじゃない。人間を生贄にして喜ぶ人たちに「止めろ」と抗議の声を上げようぜい。