水力発電の思い出

木曽川水系の八百津発電所の工事に派遣されたのは、もう30年も前になる。ちょうど桜の季節で、桃源郷のようだったと今も懐かしく覚えている。この辺は日本海側の姫川のように変わった石ころがあって、磨いて楽しんだことがあった。ヒスイはなかったけれど、光沢のある堅硬で緻密な岩石があった。石拾いが趣味の人もいるだろう。

こんなちょっとしたキッカケで、ささやかな趣味が始まるのも悪くはない。私の場合は設計業なので、さらに地質学者と山々を踏査する機会が多々あった。地質屋というのも専門職で、盛んにこれまでの知識を吹聴しながら山々を歩くのだ。調査報告書を書くための段取りでもあったんだろう。珍しいところでは、亜炭という石炭を含んだ岩石があった。

関東ローム層の下にあるドタンみたいなもので、スレーキングを起こしてヘドロのように変化するという。私にはそれを支持基盤として、その上に重量のある遮断機を設置できるものかと随分心配したものよ。木曽川水系にはたくさんの水力発電所がある。堂々と大きな看板を掲げて、〇〇発電所と誇示している。発電所自体は、そんなに大きなものではない。

むしろ周囲の自然環境に埋もれている。溶け込んでいる、と言った方が良いかもしれない。京都のベンガラを塗った赤い塔や橋のように、文化を主張するものではない。だから発電所の看板だけが「頑張ってるな」と感じたのだ。ダムには低周波被害がある。しかしこの辺でそんな話は聞いたことがなかった。もしかしたらあるかもしれないけれど。

現場代理人にそんなこと言う人はいないわな。もう一つ不思議だったのは、木曽川のこの辺は関電の利権があるということだ。黒部川だってそうだから、関電も歴史が古い。私はその手先となって、各地の工事に関係した。古き良き時代。この辺は戦国大名たちの故郷で、少しは歴史小説を読んでおかないと、石碑や表示板の意味は分からない。地元の人との世間話もできないような気がしたものよ。