風力被害者は、生きて、ものを言おう。

我家には由良守應という面白い男がいたので、余計に吉田松陰のことが気になるのだろう。守應には、あれだけの伸びしろがあったのだから、松陰にだって、生きていればどれほどの実績があったのかと思いめぐらすのだ。同じように、風力発電の低周波被害者も、何かものを言わないか。

以前はインターネット空間であっても、電話や訪問交流であっても、それなりに懸命に被害を訴えていたではないか。何が諸君の口を閉ざすことになったのか。それが私には分からない。いや、分かっているつもりだけれど、脅迫されたり、諦めてしまったり、気力も萎え果ててしまったことだろう。

この記事に出てくる志士たちは、「この人を見よ」と訴えている。私は風力被害者の谷口さんから依頼されて、今日まで馬鹿正直に「風力発電を撤去しろ」と訴えている。谷口さんの声は今、私のブログや、youtube動画に残されている。地域では「アホよら」と言われている。私もそう言われている。コテンパンよ。

しかしヨーロッパやアメリカなどの風力反対運動を見渡すと、なに一つ間違ったことは言っていない。恥ずかしいのは周囲の人々の偏見と弾圧だと思っている。警察も悪かったけどね。風力発電の低周波被害を受けると、耳鳴りや目まい、頭痛で人生が破壊される。たくさんの人が経験しているとおりだ。

他にも幼児の発育不全とか、ガン、循環器系の病気になる。「Pathway to disease」と宣言された通りだ。この人たちのように志(こころざし)を持とうではないか。伊豆や伊方、由良町で、たくさんの風力被害者が苦しみながら死んでいくのを見ただろう。たとえ死ななくとも、性格が変わってしまって、「関係ない」と言い続けるアホさに、自分でも辛い思いを抱かないか。

周囲の社会は、どうしても低周波被害の理解に至ることはない。風力発電が必要だと信じ込んでいるのだ。何が大事なのかさえ、考えられなくされている。こんなに簡単に操られてしまうことに驚くやろう。君のことなんかに関心はなかったのさ。被害者を虐待して楽しむことぐらいだった。見ての通りさ。

それでも被害者諸君、「風力発電を撤去しろ」と訴えよう。勇気でも何でもない。吉田松陰のマネではないが、新しい時代を開こうではないか。少なくとも政府が言うような革新的なイノベーション、とやらより、はるかに貴重な一言になるはずやで。