日本の総理選びとの落差を見ないか。

ないものねだり、と言ってしまえばそれで終わりだが、日本の選挙には、どうしてこんな論説がないんだろう。中身がないから語りようがないんやろうか。回転寿司で、二度、三度と回ってくると、ふと、他のお客さんも同じように見ているんだな、と思うよな。新鮮さを売る商売ならそれでよい。カネになれば成功よ。

政治の場合は、やはり利権かな。アメリカとの違いが良く分かるのはこの瞬間だ。菅官房長官の親は官僚さんだったらしい。由利本荘の人に聞くと、秋田で初めて総理が出ると言うので、大変な話題になって応援しているそうなのだ。それも結構な話題ではないか。風車だらけになって、協力金もたくさんいただいていることだろう。

長岡技大で担任だった早川典生先生も秋田の人で、親が満鉄で働いていたらしい。東大を出て勤務したというから菅さんちと同じやね。満鉄ファミリーがあるのかもしれない。こんな話はタブーなんやろうか。この記事は外国のことを論じているのだが、日本だって、China、朝鮮から見たら、それなりの分析を論じているかもしれない。なんせ永遠のカモやからさ。

今回の日本の総理選は、なんか物足りない。政治の貧困、人々の無関心、人々の貧困化、いったい何が悪いんやろう。風力発電のサギがまかり通る世の中よ。腐っていくばかりだけれど、新しい生き方もあるんじゃないか。インバウンドだ、IRカジノだのと嘘ばかり見せられた。アホらしかったと思わないか。これからは個人がそれぞれに活躍しようやないか。

日本で生きていくためには、ムラ社会にひれ伏していては殺されてしまうで。ムラを出て、新しい自分を作ろうやないか。由良守應は、和歌山を追放されてから、彼の人生が始まった。田舎の百姓の子倅が、作り話のような冒険を重ねていく。彼は、なんで英語やフランス語が話せたんだろう。こんな出来事は今だって、あちこちに転がっているはずやで。