日本でも、風力反対運動はあるんだけどな。

「風力発電反対」と検索すると、全国の反対運動が出てきます。内緒で、コソコソと「反対したいんだけど」と言っている人もいることだろう。英語で「protest wind farm」(風力発電反対)、と検索すると、世界の反対運動が出てくるけれど、どうも空気が違うな、と感じないか。すぐに気が付くのは、日本には「風力発電を止めろ」という声が一つもないことだ。

被害があるから、被害者が苦しんでいるから反対しているのかと思ったら、「土砂崩れが心配」、「水源地がある」などと、あさって、しあさって、の話を繰り返している。アレ? なんかおかしいぞ。風力発電は、計画と同時に地域対策が行われている。自称反対運動もその一つで、各地の「考える会」など、何を考えるのかと言えば、御用学者と常連講師を招いての被害否定の繰り返しであった。

大体、風力反対と言いながら、その人たちは市民風力をやっているというんだから話にならない。何が悪いのか、などというような意識はないのだ。エセ環境運動よ。低周波被害者の会の窪田泰さんは、何も考えない、考えることのできない人を集めた「考える会」と言っている。私もそう思っているし、当初から、彼らはいったい何者で、何を目的にしているのか、それをハッキリさせないと話はできないでしょ、と指摘されてきた。

それでも最近、何人かの人が連絡があって、「慎重に進めている」、「確かに圧力はすでにかけられている」といいながら、地域での生活を守るため、社会とのつながりを取り戻すために、手探りの活動を聞いたりしている。私は羨ましい。由良町では惨憺たる有様で被害者たちは死んでいったのだから。抗議するものへの弾圧はすごいで。9年前、アメリカのコロンビア大の研究者が来て、「法律でやられるんやで。あんたアカンで」と怒られたことを思い出す。

スラップ訴訟と言っても、誰にも分からないように処分されるのだ。たぶん私の知らない被害者や、抗議する人が闇に消されているだろう。カネ、仕事、利権、ポスト、脅迫、いろんな手があるだろう。社会が崩壊する、という所以がここにある。いったい何のために風力発電を建設するのか、まさか電気のためじゃないやろ。敵は連携していて、人々の心を自由にコントロールしています。私は先日からの和歌山地方裁判所で、当事者として、その一端を聞いている。

「風力の被害なんて聞いたことはない」、「個人的な思い込みだ」、よくいうよ。これが警察であり、司法の姿なのだ。下関のスラップ訴訟なんて、もう無茶苦茶でしょ。ここまで社会が壊されているんだよ。いや、個人的に危ないと思ったら、逃げるほうが早いかもしれない。これまでも各地の被害者はそうしてきたし、私もそのようにアドバイスしている。散々に弾圧されて、風力発電の強烈な低周波音で虐待されて、生活が破壊されて、精神的に参ってしまう。

周囲の社会がここぞとばかりに襲い掛かる。「人というものがよく分かったよ。私は今まで何を見てきたんや」ということになる。初めから分かっている被害なら逃げたほうが賢いだろう。悪党はどこにでもいる。36計、逃げるにしかず、という。固定価格買い取り制度、再エネ賦課金、こんな悪法を誰が作り、そしてこんなにも被害が顕著であるのに誰も反対する人はない。地球温暖化だという。CO₂削減だという。こんな腐ったスローガンに騙されるほうがアホだということだ。風力発電に反対しよう。風力被害に抗議しよう。