マスク思考

写真を見て、私がマスク趣味だと思わないでくださいよ。コロナ禍のおかげで、ホームセンターにもマスクがなくなった。しょうがないので簡易マスクで乳剤をやっていたら、肺の奥がシクシクと痛くなってきて、気管ではなくて、もっと奥のほうから痰が出てくるようになった。それからが大変よ。どうもアレルギーのように、乳剤に反応するようになったらしい。

最初はダーズバン、次はアップロード、スプラサイトになるともうたまらない。完全な過敏症、農薬中毒症状になっていた。有機ガスのマスクを使っても、防護眼鏡を使っても、苦しいのなんのって。みかん畑の上には風力発電が回っていて、絶えずゴォ~ン、ゴォ~ン、と鳴っている。風車病と一緒になって、どちらが原因の頭痛か分からなくなっている。

とまれ、マスク思考よ。このくそ暑いのに小学生たちはマスクをして歩いている。アホみたい。マスクフェチやね。精神的にも悪い影響があるやろう。昔、お祭りにプラスチックのお面を買ってもらったけれど、アレみたいなものか。カラフルなマスクが流行っていて、さぞ息苦しくて暑いことだろう。農薬用のマスクも苦しいんやで。はるかに高価やし、150分で使い捨てにする消耗品よ。

私の親は、こんな高価なマスクではなく、安物のスポンジマスクだった。たぶん辛んどかっただろうと思う。我慢強かったんや。用もないのにマスクで顔を隠して安心する。なんかヘンやなと思うのは私だけではないだろう。それよりも、人々を自由にコントロールできるように、だんだんと技術がアップしている。再エネ、自然エネルギー、地球温暖化、誰も疑うことなくセッセト金を貢いでいる。

騙されていることすらわからない。いや、手先になっていることがうれしいのだ。人としての自尊心なんてどこにもない。奴隷、囚人よな。外国の人から見ると、さぞアホにされるやろうと思うのだ。