誰も反対しない風力被害

2014.2/5日付のページで紹介したように、黒田街子さんと汐見先生は、風力被害者宅に呼ばれて低周波測定を行った。『左脳受容説』P.126に書かれている通りである。私は、母の実家が広川町なので、子供の頃からあちこちでこの地で遊ばせてもらった。カロの浜、広八幡、津木のコメ、懐かしい思い出が詰まっている。

由良町とは、ちょうど山一つ越えた所よ。その山々に風力発電21基があって、どちらの人々にも低周波被害があって、難儀している。悪いことは分かっているんだが、誰もそれを言えない」「ブンブン、回ってら」黒田さんらが突然、被害者宅を追われたことは何度も書いた。山本地区の1基「1500kw」だけは夜間停止している。民家までは200mほどか。

しかし南側の山々には21基の風車が林立している。内緒で愚痴ることはあっても、抗議の声を上げることはない。地域対策の成果よな。ここでも被害のない人は、被害者を笑いものにして喜んでいる。私はこれまで学歴や教職といった職種によって、人のレベルがある程度判断できるんだろうと思っていた。全然ダメやね。

今までえらいと思っていた人ほど、人の不幸や苦しみを笑いものにして喜んでいた。広川町では、誰一人として風力被害に抗議する人はいなかった。聞いて回るうちに、逆に、オマエは共産党かといって怒られたよ。日高川町では添付の写真のように、民家まで1kmほどになっている。由良町と同じように谷あいの集落が続いている。

向かいの山に低周波が当たって反射しているだろう。低周波の「へばりつき現象」があるだろう。とくに朝方の気温差では、風力発電独特の周波数1Hz周辺に特異なピークを持った加害成分が卓越しているだろう。h24年には、風車の音がうるさくてならないという被害を何度か聞いた。しかしh25、26年には、それらの言葉はかき消されていた。

畑地区の谷口さんは、日高川町まで聴き取りに行ったらしくて、「対策されて黙らせられているんやろ」と私に伝えてきた。この地域では、低周波測定すら行われていない。測ってはダメなのだ。強力な社会的な圧力があるんだろう。和歌山でもh24年から「考える会」といって風力被害者を取り巻く地域対策が行われた。

ジャーナリストたちが由良町に来た時、「あの人たちは何?」と不可思議な組織の有様に怪訝な顔を見せた。被害者が苦しんでいるのに「考える」もないだろう、というのだ。議長からは「あれは反対する会ではない。エネルギーか何かを考える会だ」と私には知らされていた。被害隠ぺいのためのトリックだったのだ。

今回の新聞記事でも、和歌山では、私の他に誰も反対する人はいない。景観を守る、土砂崩れが心配だ、などと問題をはぐらかしてきた環境運動家たちは、とうに勝利をかみしめている。私は一人総スカンよ。それが周囲の人々には面白いらしい。あの時、たくさんの風力被害者が苦しいと言って涙を流して泣いていた。

私に何度も電話してきて、役場にこの被害を伝えてほしいと懇願した。役場にもたくさんの被害を訴える電話があったろうに、一件もないと豪語している。議会という舞台でそう証言するんだから大したものよ。大きくは国策だから国の責任だと私も思っている。しかし目の前で町民が苦しみながら死んでいった被害を見ながら笑いものにして喜ぶ有り様は地獄絵ではないか。

それも被害者たちは「考える会」という網にかかっていいように愚弄されて死んでいった。どちらさんもアホばっかりやなと感心したものよ。海外ではたくさんのグループが「Stop wind turbines ! 」、「Kein winpark」と言って抗議運動を起こしている。日本には一つもない。それどころか、ドイツでは上手くいっている、ドイツに習え、と繰り返している。

ドイツ人が見たら笑うで。私はこんな日本のやり方を外人さんと話したことはない。とても恥ずかしくて、それに彼らも理解ができないだろう。例えは悪いが、爆弾を抱いて自爆攻撃する兵士を、アメリカ人はクレイジィ、という。日本では軍神、散華といって賛美する。由良町で起こった風力発電の被害は、日本中で同じ惨劇を見せていることだろう。

それを楽しんでいる環境運動家たちがいる。私のページの初めにアップしているように、ドイツには「私たちには風力発電が必要です」という環境運動家たちのテレビ番組がある。言葉の意味は日本の環境運動家と同じだ。カルト、新興宗教なのだ。風力発電には闇の部分が多い。景観を破壊するだけではなく、私たちの社会を破壊していることに気が付いてほしいのだ。

由良町の風力発電を撤去してくれ。力を貸してほしい。