コロナウィルスの後に来るもの

由良町では40年ほど前に赤痢とコレラが流行った時があった。私も罹患して3ケ月ほど集団生活する羽目になったものよ。中には、なかなか菌が抜けきれずに、病院に収容された人もいた。体質があるようだ。大人も子供もイッショクタの生活だったから、たぶん一服盛られていただろう。当時の記憶がおぼろで、ぼやけている。私にとっては社会性が身に着くよい機会になったのかもしれない。出来るだけ周囲の人と仲良くして辛い日々を乗り越えたのだから。

さて今回のコロナウィルスよ。インバウンド、観光開発、とかいって外国人をありがたがっていた人たちは、さぞ困っていることだろう。札幌なんか中国人ばかりだったからね。公務員だけは、のんびりした安定した生活を楽しんでいることだろう。なんで公務員にまで一律10万円が支給されるのか私には理解ができない。公僕という言葉は死語になっている。それよりも経済的に困窮した人たちが何に怒りを持つかという予測だ。

人の心なんてキッカケさえあれば、簡単に操られるから、プロパガンダ、宣伝文句一つで、また大きな山が作られる。あの戦争の時、ドイツではユダヤ人への憎悪を煽ったのだ。今では信じられないような大虐殺に発展した。ドイツもフランスも、当時一流の文明国だよ。その原因の一つになったのがスペイン風邪だというのだ。それだけではないだろうが、人は苦し紛れに何にでも縋り付く。初めは少数であったとしても、いつの間にかそれが社会に受け入れられてナチス運動となり、大量虐殺になったという。

北海道では大規模な風力発電が現在進行形で建設されている。地域の雇用だとか、産業育成だとか、絵に描いた餅、に人々は騙される。それしか道はない、と信じてしまうらしい。風力被害者もいるだろうに、当然のように黙らせられているだろう。国の政策に刃向かうか、という全体主義よ。今回の風力発電の低周波被害は、単に公害を訴えているのではなく、社会が破局に向けて突き進んでいるように思えるのだ。

風力被害者が苦しみながら死ぬ。それを手を叩いて踊って喜ぶ。生贄の祭りよな。こんな事態が許されてよいはずがないだろう。CO₂、気候変動、地球温暖化、イデオロギーに踊らされて、思考を奪われていることに気が付いてほしい。少なくとも、近所の人が亡くなって、ワシらは面白いんや、という事態は異常なことに気が付いてほしいのだ。