地球温暖化防止と繰り返す魔法の力

3/14日、産経記事だが、謝罪と書きながら、原発と再エネが必要だと結論している。何だこのヘンテコな文は、と思いました。原発も再エネも、これだけの被害を出しながら、何の反省もない。どちらもカネになるから、「被害はありません」と知らん顔して隠してしまう。日本の環境運動とは、こういうことだったのだ。

原発反対!と言っていた運動会は、いったい何だったのかと思わないか。風力発電の低周波被害で、被害者が塗炭の苦しみに泣いているのに、「我慢できればいいではないか」と笑いものにする。怖ろしい恐怖政治になっている。今日の新聞には、合わせて水俣病の記事があったけれど、被害者は認められなかった。

国の基準を満たさないというのだ。水俣病は終わっていないと聞いている。イタイイタイ病も。h23年12月から、私が訴えている風力発電の低周波被害も、全国で被害が拡大しているのに、誰一人として風力発電被害を訴える人がいない。海外では当たり前に「Stopwind turbines !」と抗議しているのに、日本だけが何の被害もないというのだ。

なぜ誰もおかしいとは思わないのだろう。この記事を見ても、不思議とも何とも思わない、らしいのだ。フクシマを見て、原発が必要だと言えるか。由良町の風力被害を見て、「被害はない」と笑えるか。実際には笑いものにされて私は総スカンだけどね。それが全国で行われていることに、私は恐怖を感じるのだ。

日本の環境運動なんて、行政や事業者の手先でしかなかったのだ。権力の末端となって、自己実現して認められることが嬉しかったのだ。人間性を捨て去って、受け売りの言葉を繰り返す。ロボットのようではないか。逃げるのを止めてみないか。人としての感性を取り戻そうやないか。風力被害を受けたら、「止めろ!」と怒ろうやないか。

人生は、カネがすべてではない。「人は、パンのみにあらず」というではないか。地球温暖化防止は、いつまでも魔法が通じるとは思えない。ただのイデオロギー、マルクス主義やナチズムと同じことなのだ。歴史や現実を見て、巻き返そうやないか。