風力被害を通して見えるもの

「風力発電は悪い事ばかりだけれど、人というものがよく分かったよ。私は今まで何を見ていたんやろ。それに世の中にはいろんな人がいて、出会いがあったことに感謝している」谷口さんが亡くなるとき、こんな話をして電話の受話器を置いた。低周波被害にあうと、音に敏感になるだけではなく、人に対してもヒリヒリするような刺激を受けることになる。

低周波の空気振動により、緊張して興奮するからだと言われている。今まで普通に話していた人が、アレッ? こんな人だったのかと不思議な感覚に襲われることが多々あった。地域対策という被害者を封じ込める作戦があって、周囲の人たちが利用されるからだが、被害者から見ると「不思議な事ばかり」が起きることになる。

何が起こったんやろう、と自分の判断基準が狂い始めていることに非常な不安に駆られるのだ。あの日、谷口さん宅には11人もの知人、友人が来て、あるいは電話で、「由良さんがあんたの悪口をあちこちで言いふらしている」と告げに来たそうだ。

普通に考えたら、そんなアホなことあるはずがないと思うのだが、強烈な低周波被害で精神が参ってしまっていて、おまけに薬漬け、環境運動家たちの悪知恵もどっさり注入されている。谷口さんとは古い付き合いなので彼女に遠慮はない。ボロクソに罵られたものよ。それでも最後2016年には「北海道の空気が素晴らしかった」などと言いに来るんだから、何か縁があったんだろう。

私の周囲でも同じ現象が次々と起こっていた。卑劣な裏切りなのだが、人というものはこの程度のものだったのかと溜息にもならなかった。日本社会は、なんと洗脳、扇動に弱い事か。個人は自分で考えて行動するのではなく、常に社会に合わせて言われた通りの反応を見せるだけのものだった。考える会、野鳥の会、日弁連、環境運動家たちは風力発電の工作員であった。

初めから仕組まれた仕掛けだったのだ。海外の風力反対運動とは全く違うでしょ。日本の環境運動は官製で、御用運動会でしかなかったのだよ。それにしても地域社会の脆弱さよ。風力発電が林立する山のふもとでは、被害者も、そうでない人も、コテンパンに囚人になっていた。「被害なんかない」「関係ない」と私に叫ぶのだ。伊豆や伊方でも同じことになっている。

報道するメディアはどこにもない。私はこの風力被害を全国に向けて発信しているが、ほとんどの人は理解ができないらしい。下関や由利本荘、石狩、など、これから大規模な風力建設で沸き立っている地域では、何の疑いもなく被害否定を繰り返す御用運動家、御用学者を招いて喜んでいる。反対運動と言いながら低周波被害者のことがない。

「エコなのか」とワケの分からない題目を唱えている。言葉をすり替えているのだ。何を言っても通じないグループがひしめいている。誰も風力発電の低周波被害を理解する人はいない。なぜ風力被害者は、「風力発電を止めろ」と抗議しないのか。たくさんの被害者が苦しみながら亡くなっているのに、なぜ自分のこととして怒らないのか。

それは地域の人々も同じことだと思わないか。人間性を破壊されていることに気が付いてほしい。被害者が死んだらアホにして喜んでいるのは日本だけよ。「Stop wind turbines ! 」と海外では抗議している。まともな人間感覚を取り戻そうやないか。