COP25、気候サミットの顛末

12/17日の産経記事です。グレタさんなど、あれだけの話題を振りまきながら、アレはいったい何だったのかと宴の後を見ています。しかし現実は、記事にあるように目的ではなく「手段」だとある。つまり原発推進と風力発電などの再エネ賛美なのだ。電気が目的ではない。カネを作る仕掛けなのだ。

だから海外の反温暖化の人たちは、たとえ温暖化が否定されてもこの動きは止まらないと、最初から書いている。カネを作るためには温暖化でも寒冷化でも、なんでもよいのだよ。イデオロギーと私は書いてきたが、それさえもツールであって目的ではない。エセ環境運動家たちは、しょせんコマ、踊り子にすぎない。

今、twitterには東北地方に15兆円の風力発電所を作るんだと息巻いている。環境運動家たちはお祭り騒ぎよ。現実は風力発電の低周波被害に苦しむ人がいるのに、誰も「風力発電を止めろ」とは言わない。つまり彼らの運動会はエセなのだ。低周波被害を否定する御用学者を招いては、「被害はありません」と繰り返している。

被害者は、どうしても被害の苦しさを訴えられないようだ。風車病になると、まともではなくなるからね。弾圧して虐待するから余計におかしくなるのだ。由良町で、私は何度もその光景を見ることになった。10/28日のページに紹介した谷口さんの話は本当の出来事なんですよ。彼女が亡くなると、議員たちは手を叩いて踊って喜んだ。

地域の人々も私をめがけてアホにしてオチョクッタ。「アイちゃんは何で死んだんよ」と。これが風力発電の被害よ。なんで人が苦しんで亡くなると笑いものにするのか。私には耐えることができなかった。日本人はテレビや新聞を信用している。そこから情報を得ていると思っているのだ。74年前の新聞記事を見ると、大本営発表のウソ八百が書いてある。

それと同じことが今、繰り返し行われている。あの時も、私の祖父母はおかしいと分かっていたという。「あんな戦争で死ねるかよ」といった人もいた。たぶん、私以外にも、これはおかしいな、と感じている人はいるはずなんだが、窪田泰さん以外にその声を聴くことはほとんどない。村八分にされても良いではないか。

「風力発電を止めろ」と堂々と抗議して怒ろうではないか。