なぜ風力発電の被害者は弾圧されるのか。

なぜ風力発電の被害者は弾圧されるのか。

私は企業でコンサルをやっていました。技術開発部にいたこともあって、「低周波」という言葉を知っていました。海洋工学で、消波堤の研究に関して論文発表までしています。同じ波のことですからイメージがしやすかった。

それとs58年の卒業当時、ちょうど西名阪自動車道 香芝高架橋の低周波被害事件がありました。私は土木科の学生でしたから、たまたま横河橋梁の先生たちもいて、記憶に残っていました。

橋梁工事では、今でもそうですが、チョイチョイと重大な事故を起こして死者が出ています。あんな大きなものが落下するんですからただ事ではないんですよ。周りの関係者はアリンコのように吹っ飛んで亡くなります。

とくに40年前のあの頃は経済設計といってできるだけ軽く、早く建設することが求められていました。田中角栄の「日本列島改造論」の時代でした。

鋼橋は軽く作ると振動します。当時のことですが、スパン50m位の橋で、真ん中まで行くと、上下に30㎝以上バウンドする、恐ろしい橋がありました。

計算上は耐力があると品質保証されるけれど、人間としての感覚上、「これは危ないな」と驚いたものです。

その後、疲労破壊、振動破壊として、部材の断絶が問題となり、設計指針が毎年のように変わっていました。

小林芳正先生は振動学の大家ですから、この時期、業界からも注目されていたことと思います。

さて、低周波音被害者のシナリオです。

地球温暖化、自然エネルギー、として国連でも大きな問題として取り上げられています。アメリカのゴア副大統領はノーベル賞までもらっている。京都議定書、パリ協定と、日本政府も賛同している。

地球環境の保全、ということで誰も反対できない理想を掲げたのだ。

この時点で、CO₂による環境汚染、エネルギー政策が課題として提起される。「CO₂取引き」などという摩訶不思議な言葉が飛び交う。

同時に、海外でも日本でも、「地球温暖化」説に疑問があるという、反対する本が多く出版された。

しかし現実には、温暖化している現実があるのだから。温暖化ビジネスを否定するまでの力にはなりえなかった。

むしろ「風力発電」「太陽光発電」の本がケタ違いにたくさん出版されて投資ビジネスとして推進されている。

つまり地球温暖化に伴うエネルギー転換とかいうプロパガンダだ。

効果があろうが、なかろうが、CO₂を出さないことが目的とされた。いや、広くビジネスになることが目的とされた。

不況だと言いながら、人々はダブついた資金の投資先を求めている。銀行金利よりも、株式投資よりも、エネルギー事業が手の届くところにあって、金利が高ければ誰だって金儲けに使うだろう。

日本政府が資金面で支えているのだから、こんな安全な投資先もない。再エネ普及が進めば、再エネ賦課金はこの先、もっと追加されて税金として徴収される。

今、r1年では12%となっている。

しかしだよ、初めから風力も太陽光も被害があることは分かっていた。

それで初めから再エネ普及と同時に、被害否定の報告書作りに励んでいた。

野鳥の会や日弁連、「考える会」などの環境運動家を見て、あまりに話し方が上手いな、と感じたのは私だけではないだろう。

たぶん皆さん同じマニュアルを使って勉強されている。だから同じ言葉をオウムのように繰り返すし、日本には「風力発電を止めろ」と抗議している人は、私以外に一人もいない。見事にみなさん「ドイツでは上手くいっている」と繰り返すのだ。

風力被害者でさえ「止めてくれ」と言わないように口封じするのだから、その魔法の威力には驚くではないか。

私は、こんな田舎町、由良町議会で29回も連続して風力発電の被害を訴えたが、良識的な人はついに一人もいなかった。

道徳的に、ここまで人を貶めるものは何なのか。

今年の二月の議員選挙では人口6千人の由良町で、私は総スカンであった。見事な、というしかない。由良町の人々は、次々と私を罵倒した。

「アホよら」と。

「被害なんかない」と。

私は由良町議会で魔法の世界を見たと思っていたが、ここでも感動に胸を躍らせたものでした。

H23.11月 風力被害者の訴えを聞く。(環境省、被害否定報告書)

H24.2/25日 風力事業の事後説明会

「考える会」ができる。 → 私の追放、断絶 → 被害者たちの死亡 → 被害の否定 → 地域社会による被害の隠ぺい

由良町の山々に林立する21基の風力発電は回り続けている。

全国的に風力発電の建設ラッシュとなっている。被害を認めれば、風力の普及に影響が出る。

新聞やテレビは、風力発電を賛美するコマーシャルを流している。低周波音被害に苦しむ人がいることは決して伝えない。

地元新聞は私を批判し、弾劾する。それこそ嬉々として私を責めて喜んでいた。何のための新聞なのか、その意味を思い知らされた。権力の手先であった。いや、それ以上に私を攻撃することで点数を上げたかったのだ。みなさんのための地元新聞だと。

現に、風力発電の被害は全国に広がっているのに抗議する議員は誰一人としていない。目的は見事に達せられた。

私は由良町で目にしたことをそのまま書いてきました。たまたま低周波被害者の会の窪田泰さんなどのニュースから、全国の被害地域のことを知ることになりました。多くの風力被害者と話しました。

私は、由良町には独特の風土があって、それを利用されたと思っていましたが、それと同じように、全国の被害地でも、まったく同じような地域対策が採られていました。

風力被害者 = 敏感者 = 特殊な被害感のある人 = その人自身に原因がある = 一般の人には関係ないという誤った認識が地域社会に定着していた。

重症の被害者は100人中、3人程度です。その人たちは逃げ出すか、死ぬしかない。

畑地区の谷口さんは大阪や東京の子供の家へ逃げていた。由良町にはいなかった。由良町に帰ってきても、夜には隣町や温泉宿へ避難していた。

それでも薬漬けにされていて、近所の病院を信頼していると言いながらも、医者を代えると苦しそうに言っていた。

私を嫌悪しながらも、亡くなるときに二回、着信記録があった。

谷口さんは環境運動家たちがチヤホヤしてくれるので、彼らの情報を好意だと勘違いして喜んでいた。最後に石狩の「考える会」へ行ったときには、私に何度も「空気がよかった。素晴らしかった」と自慢していた。

彼らは決して風力発電で命を縮めたとは言わないのに。彼らは再エネイデオロギーに取りつかれた市民風車でしかないのに、彼らは風力発電を推進している御用学者の信者なのに。

彼らにとっては、風力発電や太陽光発電は金の生る木なのだ。

ゾーニング手法により風力発電を普及するという。「縄張りをつくる」という意味だが、ゾーニングも何も、その地域べったり、すべて被害地域になっている。初めから「被害はない」という巧妙な謀略で建設が進められている。

当然、「風力発電を止めろ」という被害者の声はないし、自然保護団体は何も言わない。だって自然エネルギーだから。

全国の風力被害者たちと話が出来たのは良いことだったのか?

どうも違うな。由良町と同じパターンだということはよく分かった。

そしてしばらくすると、みなさん一様に私を嫌悪して汚く罵られることになる。例外はなかった。

私の対応が間違っていたか、何かがあったんだろう。

「私は別に風力発電に反対していません」

「私は風力発電とは一切関係ありません」

「私の名前を出すのは止めてください」

「私は被害とは関係ありません」

同じ言葉を各地の被害者から聞かされるのだから、これも魔法の力が働いているんだろう。

絶対服従しなければならない何かがあったんや。

環境運動家がシラミか蚤のように、全国の風力被害者にたかっている。全国展開で組織的な活動だから、かなり洗練されているようだ。

私のホームページを初めから見ていただくと分かると思うが、あの畑地区でさえ、全員が「被害はありません」と証言するし、私を罵倒するのだ。

たぶん汐見先生以上やな。これだけは自慢できると思っている。もう亡くなったけど。

だからそうであればあるほど、では、あの被害者たちは何と言って死んだんや、と落差を見てしまう。

それに私自身が重度の低周波被害者で苦しんでいる。私にまで「黙れ」「アホよら」と言われる理由はないはずだが、彼らの心理は、どうもそうではないらしい。

彼らは、何か虚構の世界にいるらしく、その時だけでも被害の苦しみを否定できるのだろうか。

何としてでも私を貶めて消し去りたいようだ。

この辺は「転居か死亡か」といった二者択一の過酷な弾圧を現実に見せてくれる。彼らはすっかり奴隷であった。

「このことは言ってはならない」と谷口さんや何人かの被害者が私に言ったが、彼らはすっかり屈服していた。

「みんなと一緒に」

「反対や抗議はしない」

「これまでと同じように暮らす」

クスリ漬けにされて死ぬことのなかった被害者たちは、半ばホッとして、頭痛や目まい、体調不良に苦しみながら、言われた通りに、私を憎んでいる。

全体の地形写真を見れば分かるように、由良町は小さな谷あいの町である。集落のある平野部は一定の定在波がへばりつくように拘束されている。常に被害成分、卓越した低周波成分が空気振動、気圧変動を繰り返している。

火山活動や地震、津波といった脅威と同じ情報を頭脳で、音波で受信しながら暮らしている。

前ページで、私が被害成分の分析をしたとおりである。

あるいは、明確な倍音、高調波がある。人の感情に作用していると考える。

私のページのトップページにアップしているNina Pierpontの第一章に書いてある通りである。ぜひ、この部分は読んでいただきたい。

日本人はなぜ、これだけの風力被害を見ながら他人事として知らんふりするのか。御用学者は、学者という人種を地に貶めたと思うが、中には科学者としての気概を持つ人もいるのではないか。

人の役に立つ、人の困難を助ける、という当たり前の人間性までなくしてはいないだろうか。

あるいは地球温暖化を利用して、再エネという詐欺思想を信じてしまい、環境保全とは真逆の立場で、何か倒錯した物言いをしていないか。

原子力か風力か。二者択一ではないだろう。よくもそんな薄っぺらな話にすり替えるものよ。

大学の学者さんは、せっかく勉強ができて、その上澄みのような清酒なのだから、倫理に責任を持ってもらいたい。

風力事業の手先となって喜んでいる環境運動家は少しは恥を知れ。本来の環境保全とは何か、真摯に考えるがよい。単なる趣味で被害者を弾圧していると思うが、罰が当たるのは目に見えている。

ジャーナリストたちがよく言う話に、有名な環境運動家と話していて、彼らは皆、目つきがおかしい、顔つきがおかしいと伝えている。私もテレビなどで彼らの話す様子を見てヘンだと感じている。これは御用学者の場合も同じで、どうも話していてヘンだと感じるらしい。

苦しみながら死んでいった被害者たちの怨念だと思いたい。地獄に落ちるんやね。

海外では普通に風力被害者たちが、地域の人たちとともに風力被害を訴えて「風力発電を止めろ」と抗議している。本当にたくさんの地域で、たくさんのグループが「Stop」「NO」と抗議している。

ところが日本には一つもない。

深刻な風力被害にあいながら「転居か死亡」しかない。地域の人は助けない。他人の不幸は蜜の味。社会は崩壊していた。

あとは奴隷になってヘンな人になって苦しむだけだ。見事に「黙らせる」地域対策が成功している。地域のリーダーは、嬉々として被害者を弾圧する。それを人々は一緒になって「被害はない」と合唱する。全国で同じパターンが繰り返される。

なぜやろ?

そして、なぜ私一人が総スカンを食いながらも、自分に誇りを感じることができるのか。海外の抗議運動に、うらやましい、と思いを馳せるのか。

なぜ、誰も私の話を聞いてはくれないのか?

一人や二人位、いてもいいんだけどな。

もうすぐ死ぬ、という被害者でさえ、私を拒否した。だから苦しくても、今も生きている被害者が私の話を聞くはずがない。

そりゃ、環境運動家の風力ニュースと、私の悪口の方が面白いわな。とうに頭がやられているのは分かっている。今、お盆の季節なので太平洋戦争の番組がたくさんある。爆弾を抱いて自爆することが名誉なことだった。あまり言うと怒られるので、これには触れないが、今の時代から見ると「なぜな?」と抵抗感があるでしょ。

日本人はそれほど社会や世間に弱いのだ。

思想や命令に弱いのだ。

事業者がワナを仕掛けて、「被害はない」とダマしているのに、気が付くこともなく、簡単にはめられてしまう。

そしてこれまで歴史を築いてきた我家、私に対して憎悪と罵声を浴びせる。彼らには、それが嬉しくてならない。

何かに憑かれたように、そう、キツネに憑かれたように、と昔の人は言った。

オレオレ詐欺と同じで、ダマされたことすら理解ができないのだ。そりゃ、周囲の人々がそれを繰り返すんだから、まるで虚構の世界よな。アホに付ける薬はない。

自分で考えて判断するという、人として当りまえなことがないのだ。だから「考える会」という名は、よほど今回の地域対策を象徴している。心理コントロール、洗脳が初めからセットになっているのだ。それも地域ぐるみ、町ぐるみで。そして御用学者が講演し、御用運動家が何重にも取り囲む。なんと熱心な人よ、ってか。

私が紹介したような海外の風力反対運動、文献などの情報は遮断する。真逆の事実(ウソ八百)を堂々と吹聴する。まさにオレオレ詐欺と同じやり方だ。

ダマされる被害者たちも、そのウソを信じるしかないし、元々上等な人なんだろう。金持ちケンカせずという。らしい。

それにしても我家は旧家で何百年も由良町に住んできて、一応の信用というか社会的な評価もあったと私は信じています。個人の時代だよ、と言うかもしれない。しかし今回の騒動を見て、悪い家の人は、やはり悪い。悪事に喜んで加担するのは、やはり日ごろから悪い人が率先している。私一人が孤立しているようだ。

さすがに選挙で総スカンを食っただけある。これが由良町だけではなく、全国どこへ行っても同じ対応なのだから、よほど緻密な計算をした風力被害の否定が強制されているようだ。一般には、風力というより、私の人間性に問題があるそうである。

それでか。誰も風力発電の低周波音被害に抗議しないのは。

私のせいで、由良町の風力被害者たちは苦しむことになったと、たくさんの人から聞いてきた。

たぶん、そうなのだろう。

彼らは、私のアホらしさを「よすが」にして生きている。遠くから私を確認すると、ジッと私をにらんでいる。気になってしょうがないんだな。もうエライさんの相手はしてあげないよ。作り話をして、エラそうにして暮らすがよい。

どんなにいい人ぶっても、「被害はない」と言っても、現地へ行って、エライさんのエラぶった顔を見れば、誰だってウソが見えてくる。

h24年に来たジャーナリストや運動家たちは、みんな同じことを話してくれた。「普通ではない」と。

低周波音は感じるし、人々の様子も分かっていたのだ。

Youtube動画で、morio yuraで一連の動画をアップしています。ジャーナリストがそう語っている。それでもウソだ、作り話だという。関係ない、という。

 

私は、そろそろ転換点に差し掛かっているだろうと感じている。大本営発表は誰でも分かるのだよ。たとえ私一人であっても、このホームページで伝えたことは、風力発電の被害の真実の姿であったと確信している。

由良町の風力発電を止めてくれ。