札幌から、由良町の風力被害を視察に来ました。

久しぶりに由良町の風力被害を説明して案内しました。札幌からは佐藤謙さんという先生が来て以来です。なんでも、谷口さんの話を聞いて、一度、由良町を訪ねたかったのだとか。

「ここが谷口さん宅です」と案内しましたよ。

佐藤謙さんも言っていたように「人々の暮らす地域に、こんな風力発電を建設したらいかんよ」と話し合いました。

北海道では今、たくさんの風力発電が建設されています。太陽光パネルも急速に普及しているようです。

再エネとは何なのか?

電気が目的ではないな。

結局は、年間5兆円を超える再エネ資金の金儲けか。

北海道にもすでに風力被害者がいて苦しんでいるらしい。しかし被害を訴える声が表面化することはない。

海外に普通にあるように「風力発電を止めろ」と反対運動する地域はない。

北海道の人には何度も同じ説明をしたことだが、北大の松井論文は風力被害を否定している。

しかし北海道の人々は「松井先生は、風力発電は人に影響がある、とおっしゃってくれている。風力発電に関わる専門家として、貴重な先生です」というのだ。

私は再度、松井論文は環境省の被害否定の言葉を入れ替えだけのものだ、同じことを言っているにすぎない、と説明した。

たぶん、分からないらしい。

同じように山田大邦論文も説明したが、その違いが分からないというのだ。

一つのグループとして、仲間としてやっていると言っていた。

主張が180度、違う。全く正反対のことを言っているのに、よくも矛盾を感じないな、と言っても通じない。考えられないのだ。

「考える会」というのは、実にうまいネーミングではないか。

反原発と言えば反原発。

自然エネルギーと言えば自然エネルギー。

基地反対と言えば基地反対。

言われるままに参加して運動?をしているだけ。

考えない人を集めて「考える」という人としての資格を与えて力づけてやる。メンバーは与えられた「考える」という言葉を権力と錯覚して活躍する。社会参加する。

だから風力被害を否定する論文と、風力被害の原因を追究する山田大邦論文の違いも、言われたままに考えない。

スパイや工作員は、必ずいるし、一生懸命、熱心に反対運動するから、誰なのかは表面上、分からない。

最後になって、いや、ずーっと分からんやろ。「計るだけならいいではないか」とアセスを暗にほのめかしてもメンバーには真意が分からない。

由良町ではすぐに分かったけどな、と私は言った。

下関の反対運動でも同じだったと言ったが、なんだか下関とは違うと反発していた。

札幌には山田征さんらの運動家やジャーナリストも参加したという。

ある勉強会で、北大の松井とジャーナリストが対立した。

ジャーナリストは、物理的な低周波の測定に頼ったのでは被害の証明にはなりにくい。それよりも現実に被害があるのだから、これ以上、風力を建設させてはならない。被害者対策をするべきだ、と主張した。

そこに学者さんは、きちんとした測定評価はアセスやこれからの再エネ普及には欠かせないと主張した。

(風車から民家までどの程度の距離が必要か、どの程度の騒音レベルが許されるか、という事業者側の判断となる)

私はその話の中で、前ページに紹介したフィンランドの被害調査記事で、15㎞まで被害が確認されたこと。アメリカの物理学誌JGRでは90kmまで風車由来の低周波が伝播する論文を説明した。

しかし考えてみれば、北大の先生は、初めから風力発電の低周波音被害を否定している。どんな理論で話したとしても、結論は決まっている。肝心の周波数20Hz以下の評価がないのだ。それにA特性、H特性と数値の低減補正を主張している。

北海道の運動家たちはそのことが、いくら言っても分からない。

魔法にかけられたように「聞く耳持たぬ」となっている。

つまり、被害があるから「止めましょう」という話はどこにもない。

「人体に影響がある」と言ってくれている。それだけのトリックなのだ。

前述のジャーナリストは、北大教授の権威の前に言葉をなくしたという。勉強会の出席者たちに判断はできない。もともと考えない人なのだ。

感情的にはジャーナリストに判官贔屓したという。

しかし北海道では何といっても北海道大学よ。国の政策により開発が進められる地域なのだ。

ゾーニングといって、ある地域を線引きして風力エリアとする。そしたらそこでは風力事業が法律となる。難しい言葉を使って作文するが、何のことはない、昔、アメリカのインディアンを追い出して、縄張りして所有権を主張しやり方よ。原住民に権利は何もない。人ではないのだよ。

北海道の人と話していて、これは何も北海道だけの話ではなく、全国で同じ物語を聞かされていると思いました。

畑地区の谷口さんが札幌で話したことがきっかけで、私も何人かの札幌や石狩の人たちと話しました。

伊豆や伊方、下関、由利本荘、そして由良町と、どこでも同じでした。

我家でDVDも見てもらったが、足尾銅山の田中正造と同じだな、と苦笑していたものでした。

彼らにも、少しは分かっている部分もあるのです。

ただ、海外で「Stop wind turbine!」と抗議デモしている事実がどうしても理解できない。

強力な心理コントロール、洗脳があることが分かります。オウム真理教の信者と同じです。

70年前、爆弾を抱いて自爆することが名誉なこと、「国を守る」ことだと信じられていたのと同じです。8/15日が決まっているのに、それでもたくさんの人が死んでいった。誰も止めなかった。

今回、風力発電の低周波音被害を久しぶりに他所の人に説明したけれど、かなり危機的な社会になっていることを感じた。

風力発電の被害で、人が苦しみながら死んでいる。といった事実がどうしても分からないらしい。谷口さんに直接話を聞いても、その後すぐに死んだのに、それでも分からないのだ。

そのことが、この本『風力発電の被害』を書いた理由なんですよ。

汐見文隆先生のように、まだまだ2冊、3冊と書かなければならないと思っています。

文才なく、能力なく、24時間、風力発電の有害な低周波を浴びて苦しんでいます。たぶん全国で被害を訴えているのは私一人でしょう。

なぜ被害者たちは、汐見先生や窪田さんを拒否して追放したのか。

同じように私を拒絶して「私たちは風力発電には反対ではありません」と言うのか。彼らにはこんなことすらも分からない。

本来なら、公害を取り上げて「義により助太刀いたす」と応援に立ち上がるはずの環境問題に関心のある学者や一般の研究者たち、運動家たち。

今回の風力被害にだけは、なぜか発言がない。

前ページで『Climate Change』マークモラノ著というアメリカのベストセラーを紹介しても誰も反応しない。ニーナピアポントの本もそうだったな。

日本ではすでに環境問題に触れることはタブーになっているのか。就職などの生活が懸かっているからね。

私のような田舎の百姓暮らしをして、自営で何とか生活していけるものだけの道楽になっているのか。

それにしても、被害を受けて苦しんでいる人を行政がなぶり殺しにして、笑いものにして喜んでいる社会を見て、私はなんとしてもこれを伝えなければならないと奮起したつもりです。

もう元には戻らないにしても、社会にはまともな基準がなければ成り立ちません。

水俣病では多くの被害者が差別に苦しみながら殺されました。今も裁判が続いています。

ところが風力発電の被害ではどうでしょう。

被害者は誰も抗議しません。私一人が被害を訴えているだけです。

たしかにたくさんの被害者が苦しみながら亡くなりました。それをウソだ、作り話だ、という人々は、私に汚い罵声を浴びせます。

どんな魔法があるんだろう、と私は感動すら覚えます。

ちなみに、谷口さんに次々と1日で11人の人が私の悪口を言うために来たそうです。みなさん親類や昔からの古い友人ばかりだったそうです。まだh24年の3月の頃ですから本当のことだと思います。すごいでしょ。これが地域対策の一コマであったことは、谷口さんとも話し合ったつもりでしたが、結果は、その後の記述の通りです。

とにかく、由良町の風力発電を止めてくれ。