豚は太るか死ぬしかない。

豚は太るか死ぬしかない。

2月の選挙で総スカンを食ってから私の見える風景もずいぶん違ってきた。風力発電の被害に抗議しているのは由良町では私一人であったし、私に対する人々の嫌悪は何も今に始まったことではなかった。

そんなことはこのブログで何度でも書いてきたし、被害者たちの弱さ、裏切りには、汐見先生の足跡を見れば大体の予想はあった。

しかし現実に、自分がそれを体験すると驚くばかりの攻撃があって、人とはこんなにも汚いものなのかと思い知った。

この思いは畑地区の谷口さんも同じだったらしく、亡くなるまで同じような愚痴を聞かされた。

「風力発電は悪いことだけれど、風力を通じて人というものがどういうものだかよく分かったよ」と。

私は役場職員や議員たちが平気で「被害の訴えはない」「関係ない」と合唱していることに感動すらした。

よくも平気でこんなウソが言えるものだと思いました。その被害者が亡くなると笑いものにするし、「何も知らん」と平然と喜んでいるのです。議会の全員が「知らん」「関係ない」と言っていることに「これはどうしたことか?」と私はただ驚いていました。これはただ事ではない、と。

今もその驚きと落胆は続いています。

「町民が被害を受けて苦しんでいる」

「町民が風力発電のせいで亡くなっている」

これは議会、行政にとっては一番大事なことでしょう。大事件のはずです。

町道の補修や給料のことなどよりも、何よりも優先すべきことだと私は訴えたつもりです。

我家は旧家ですから昔からの地縁、血縁があると思っていました。母屋、本家ですから、わりと上から見渡せる位置にあったと思います。由良守應や曾祖父が偉かったそうで、人の世話をよくしたと聞いています。それで私も子供の頃、大切にかわいがられたんだろうと今では理解しています。

それが今回、総スカンで誰もが私に背を向けました。

そりゃ風力発電の被害の資料を渡そうとしても、説明しようとしても、皆、嫌な顔をして逃げていくのだから、何かあるな、とは感じていました。

しかし、それと、これとは別だろう、と私は甘く見ていたのです。

畑地区は特殊な地域だとは聞いていたし、さすがの私にも違和感が分かりました。谷口さんからも何度も繰り返して土地柄を聞かされていた。谷口さんも結局は畑地区の人でしかなかったことは、その後、これでもかと思い知らされたけど。

とくに2/7日のページの録音を聞けば、その本音がよく分かる。

「畑地区の人と一緒に頑張っていく」というトリックだった。

今、谷口さん宅には誰もいない。彼女の子供たちは東京や大阪でそれぞれ生活を築いている。

「一緒に」もなにも空手形だったのだ。

たくさんの圧力が谷口さんをいいように操った。私や窪田さんは、猿回しのサルにされている、と皮肉った。

それを聞いたり読んだりした自称被害者たちは、私を名誉棄損で訴えてやる、と怒ってきた。

彼らは「私たちは風力発電には反対ではありません」と同じように主張していた。みんな操られているんだ、と感じた。

それほど風力エネルギー事業の惨禍は強力だった。

さて、私の住む門前地区でも完璧な包囲網が覆われていた。

門前地区にはもう一人町会議員がいるが、なんと住人のほぼ全員が彼に投票したのだ。それだけではない。人々は私に対して嫌悪、憎悪丸出しであった。

たしか私の父母が親切にして助けていた家のものが、私に対して憎しみの目を向けてにらんでいた。

「情けは人の為ならず」人に親切にすると、その人のためにはならない。むしろ結果として恨まれる、という意味になっている。

「由良家の陰徳により災いを払い給う」と僧侶にお祓いを頼んで読経してもらったことがあるが、親切は人の恨みを買うらしい、とつくづく思った。

また、大学を出てサラリーマンをしている、わりと高学歴の人たちも全員が風力被害を否定した。

「風力発電に被害などあるわけがない」というのだ。

私の説明を聞こうともしない。手の平で私を遮って、聞きたくないというゼスチャーをする。

子供のころから私を知っているし、親同士も仲良く暮らしてきた歴史があるのだ。

ジャーナリストたちは「社会の引き裂き」「地域社会の崩壊」という言葉で表現した。

抽象的な言葉ではなく、まさに私が知っていた門前という集落は、私一人を引き剥がし、全員が「関係ない」と拒否した。

そして風力被害を否定する議員にほぼ全員が投票した。実はその議員は谷口さんの子供と同級生なので、谷口さんは3度ほど風力被害を訴えた。とくに畑地区の保育所の真上に風力発電があるので小さな子供に悪影響があると話した。その議員は子供を隣町の保育園に通わせた。

谷口さんは「あの人は人ではない。私は、あの人を人間だとは思わない」と怒りの言葉を何度も伝えてきた。よほど侮辱されたらしい。

町長も谷口さんの同級生で、町長選挙の時はエラク熱心に応援していた。町長室で2人でコーヒーを飲んできたと親密ぶりを自慢していたものだった。

そして何度も風力被害を直接訴えたのだが、町長は議会で何も聞いていないとウソを連発した。谷口さんは顔を歪めて悔しがった。「アホよら」と。

選挙は現実を表す、と私は考えています。由良町の投票率は80%以上ですから、ほぼ全員が投票します。ここで敵と味方がはっきりと分かります。中立はありません。

昔から由良町に住んで、長い歴史を重ねてきた、と思っていた私ですから、当然、私が被害を受けて困っていたら助けてくれるだろうと期待していたのです。

それが敵意丸出しの拒否、反感だったのですから「なんだこりゃ」と驚くしかありませんでした。

畑地区でも、私の票はゼロだったでしょう。というより、もっとひどい憎悪の渦がいくつも舞っていました。

「エライ選挙だったな」と今になって惨憺たる選挙運動を振り返っています。こんな中で「風力発電の低周波被害で苦しんでいる人がいます。みなさん、風力発電を止めましょう」と演説していたのです。とにかく、やるだけのことはやった。

今、全国で風力発電の低周波被害を訴えて「風力発電を止めろ」と言っているのは私一人です。

既に全国にはたくさんの風力被害地があって、被害者が苦しんでいることを聞いたりしています。汐見先生が調査した伊豆や伊方、愛知県だけではないのです。

ですが、誰も「風力発電を止めろ」と反対する人はいません。たまに私に対して「風車を止めろなんてヘンなこと言うな。そんなことできるはずがない」と怒ってくるヘンな環境運動家がいます。

風力発電を賛美して推進する環境運動家には、初めからこんな人たちが多くいました。環境運動に参加しているつもりらしいのです。

風力発電の被害、低周波音被害は認めない。被害者を弾圧して排除する。環境省や行政の手先を意識して、エラぶるのが目的でした。

たぶん野鳥の会や考える会と繋がって、情報交換してサークルを楽しんでいるのだ。被害に苦しむ者に対して同情はない。アホにして楽しみたいのだ。

h21年ごろ、伊豆で風力反対運動が巻き起こった時、メーリングリスト、とかいうヘンな連中が群れ集まったのが始まりらしい。

h21年の伊豆の風力反対運動はレベルが高く、全国に被害情報を発信していたのに、1年も経たないうちに、あっけなく終了した。

20軒ほどの被害者たちは転居して行方知れずとなった。

この「黙らせる」作戦に味をしめたのがメーリングリストの連中だった。たぶん自己実現と利益があったのだ。なんせ風力発電という禁断の果実に参加すると、他では味わえない被害者の弾圧、虐待を見ることができる。環境省の報告書にあるように理論武装して守られている。御用学者、御用運動家の悪質よ。

行政の組織ではなく、環境運動の実践組織として、認められて機能するのだ。とんでもない悪党が押し合っている。低周波音被害などは、「問題の大きさを取り違えてはならない」と豪語する。

本人は地球温暖化、自然エネルギーの普及だと美徳に思い込んでいるのだ。

アホに付ける薬はない。

風車病、低周波病になるとヘンな人になるが、風力発電にかかわる環境運動家は、人権とか、公害とか、被害とか、人の苦しみが何を意味するのか分からないらしい。

私から見て、地域の人と環境運動家とは話がかみ合わないだろうと思うのだが、「風力発電」というテーマがあれば、「私たちは風力発電には反対ではありません」という合言葉で通じるようになっている。

つまり被害者に「黙らせる」という目標があるのだ。

風力発電と「考える会」は初めからセットになっていた。「被害は確認されていない」「我慢出来ればそれで良いではないか」ということだった。

アメリカやヨーロッパでは、風力発電の被害に対して、たくさんの抗議運動が引き起こされている。Stop wind turbineと検索してみればよい。

しかし日本では、伊豆でh21年頃、抗議運動を始めてすぐに潰されて、それ以降は誰も「風力発電を止めろ」とは言わなくなった。私一人がアホ正直に、こうして被害を訴えている。

最近、twitterなどで「全国に風力発電反対運動があるではないか。由良さんは何をヘンなことばかり言っているのか」と非難されることが度々ある。

彼らは風力被害のことがまるで分っていないのだ。私が何を説明しようと理解するものはいなかった。オチョクリだった。

こういうことなのだ。全国にある風力反対運動なるものは、風力被害があるから風車を止めてくれ、というものではない。被害者を救済するものでは決してない。

彼らは自分の近くに風車を建てないでくれ「いやだ」と駄々をこねて嫌がっているだけなのだ。

なんで風力に反対しているかというと、付近に風力発電が出来て被害者がいるらしい。「他山の石」として、自分たちだけは被害はごめんだ。アホな被害者は無視して、自分たちの近くにだけは来ないでくれ、と言っている。

彼らが本当に風力被害を真剣に受け止めて、これは悪いことだと思うなら、まず「風力発電を止めろ」だろう。

それを全国の風力反対運動の現場では、被害者たちに「私たちはもういいですから」と言わせている。

あるいは低周波測定器で風力発電独特の特異なピークを持った低周波空気振動を測定して、確認しようとはしない。「関係ない」のだ。

このエゴイズムは何だろう。

しかも北大の松井、田鎖といった御用学者を招いて「どうしたら風力発電を建設できるのか」といった真逆の講演、勉強会を行っている。

もちろん風力発電の被害、低周波空気振動の被害は巧妙に否定されている。肝心の周波数20Hz以下の記述はなく、A特性として、H特性とかいって音圧を低減補正して評価するのだ。なぜ被害成分をないものとして測定値を見なければならないのか、私にはどうしても分からない。北海道大学という権威らしいのだ。アホな奴やで。

低周波音被害を取り上げているのに、空気振動、気圧変動の言葉もない。

つまり、低周波音被害の歪曲、隠ぺいが堂々と行われていた。

参加者は誰もその言葉を疑う人はいないのだ。賛同の拍手と尊敬のまなざしに満ちていた。

こんなエゴイスト反対運動を「風力発電を止めろ」Stop wind turbine!と一緒にできるはずがない。

被害者を「黙らせる」ことだけが彼らの目的なのだ。

地域の人々も、全員が「被害はありません」という理由は、煩わしい事にはかかわりたくないのだ。だから「関係ない」と逃げられる。体制側、行政と一緒に言われるままで、「精神疾患」これは言ってはマズイよな。だから何も言わないでおこう。それは被害ではなく、彼の病気なのだ。だからウソつくな、被害なんかない、ということになるのだろう。

更に更年期障害だ、とか、気のせいだ、とか、証明できるか、とか、いろんな圧力、弾圧を加える。ときには締め上げる。

あんな田舎社会でそれをやられたら、誰だっておかしくなる。眼を泣きはらして私に掴みかかってきた人もいた。

人は虐待を繰り返されると人間性がなくなり動物になる。命じられた通りに動くようになる。北朝鮮の収容所を伝えるニュースでも、そんなことをやっていた。

それに強烈な低周波音とクスリ漬けで、とうに頭をやられていたのだ。

地域の人たちだって、本人が気付かないだけで、ヘンになっている人は多い。h24年当初、私を目に止めて、風力被害者を散々バカにして笑う人が何人かいた。よっぽど精神が高揚していたんだろう。

何人かのジャーナリスト、運動家の人は、地域には独特の空気が漂っている。普通の田舎社会ではない。何だろう。息が詰まるような感じがする。と言っていた。あるいは「すっかり出来上がっているな」凄いな、とあからさまに言った人もいた。

もちろん私にも分かっていましたよ。だから私は、ほとんどそんなところへは近づかない。彼らには彼らの世界があって、自ら望んだことなのだ。被害者であれ、被害を感じない人であれ、狭い地域で同じ空気を吸って暮らしている。頭の上では21基の風車が有害な低周波音を発して回っている。

何もないはずがないだろう。

h24年には、彼らの各家庭に低周波測定器NA-18Aを持ち込んで、周波数2Hzのところで音圧90dbを超える空気振動があることを、その目で確認しているはずなのだ。

それでも「被害はありません」と彼らはオウムのように繰り返す。私への悪意だけを心の糧にしているのか。ここの役場の正体は全国に知られている。私ではなく、谷口さんでもなく、被害者でもない。悪事千里を走る。

被害者を笑いものにして殺す。恐ろしいことが起こったのだ。