自分の言葉で語れ。

有田川、日高川、切目川の風力被害を書いてきた。まるで有吉佐和子の小説を並べたような、各地の川沿いに暮らす人々の思いを拾い集めたつもりだ。何度か風力の写真を送ってくれた人がいる。私に対する応援なのか、訴えなのか、お花畑なのか分からない。聞いた話では、まったく何も関心はないらしい、という。そこに言葉はない。無言の訴え、と言ったら勇み足か。「紀ノ川」沿いに風力発電がない。

奈良、五条に至るまで、何でここに風車を建てないのかと不思議に思わないか。紀ノ川北岸に、600haのメガソーラーを造成すると聞いたけど、どうなったんだろうかね。どうせ竹藪、野原が広がって放置されている。関西空港まで、太陽パネルで覆ったらスゴイことになるわな。そこにもまだ風車は立てられていない。反対運動も聞かない。不条理、不気味な現実を見ないか。もし、由良町や日高町のように、山々に風力発電が林立したら、エライことになるわ。

それだけの社会常識があると言うことだ。リスクというより、人が住んでいると言う権利意識が独占する。大阪までの間には、古い火力発電所が点々としてあったけど、今は閉鎖されている。海南発電所もなくなりましたな。和歌山は田舎で人口も少ないから、ほとんど電気はいらないんだと聞いたことがある。御坊発電所の電気はすべて大阪に送電する。じゃぁ、あのダムにある水力発電ですべて賄っているんだろうか。それでも余る、と聞いたことがある。

旱魃の年、アメが降らないと困るわな。最近は、トンと由良町に風力の視察に来る人は無くなった。全国、どこにでもあるから珍しくもないか。それでも不気味な風車群を見つめる人がいる。風もないのに風車が回っている。あるいは、ピタッ、と止まったまま動かない。低周波測定器で測ってみたら面白い現象が見られるのに、誰も関心持てないようだ。測ったらアカンのやね。高専も大学も、県の環境課も、環境省も、誰も関心を見せることはない。

ガン無視。それが生きる術になっている。水俣病の時と同じやな。水銀を測ったらアカン。そう決められていた。被害者は認めない。チッソも議会も行政も、政治も無関心を決め込む。恐ろしい無関心社会を見たやないか。何が悪かったのか、日本人にも分かったはずなんやがな。「言ってはならない」と今も言われているんかね。風力反対の人と話していて、「学者が来て教えてくれた」、「いや、自分たちで決めたことだ」と同じセリフを聞いてきた。

全国各地で、これほどワンパターンなセリフを聞くこともない。受け売りの言葉、ご自分の言葉はないんかい、と笑いがこみ上げる。本人が気が付かないうちに、無意識に思考が奪われる。【土砂崩れが心配です】、「鳥や川の水が心配です」と繰り返す。オウムやな。模範解答に、アレアレ、すっかり出来上がっている、と感心する。【お花畑】これが彼らの目的だ。地域対策になっているのに、それが分からないのか❓と不思議な気持ちになる。

同じ地域にはすでに風車病に苦しみ弾圧される被害者がいる。それを知ってのふるまいだ。なんでその悪意が分からないんだろうか。風力反対、と言いながら現実の被害者を否定する。我々は土砂崩れなんや! と嫌悪と共に吐き捨てる人がいるからね。正直なものさ。じゃぁ、風力反対って何だろう。彼らのチラシ、パンフレットを見ると、何が悪いのか何も書かれてはいない。観光パンフかいな。

いつもの御用学者や環境運動家を講師に招いて、いつもの勉強会みたいな賑わいを見る。原発の時もあったじゃないか。今回は自然エネルギーとか言って洗練されているだけで、被害を否定されているのに、それが分からないんだね。いやいや、出席者はどうでもいいんだと分かっている。どうせ誰にも分からない。風車の低周波音被害者でさえもな。バカなんだよ。前記の、紀ノ川筋以北の人たちと、ここが違うんだろう。アホにされているやろうね。

わっ、風車がいっぱいや。何度その言葉を聞いたことか。由良町の人には、その感覚はとうにない。言葉を奪われている。思考が失われている。思想統一、動物になってしまっている。私に対する憎しみだけは過激に見せてくれるけどな。自動人形みたいだよ。これが秋田や山形の、あんなに大規模な風力発電群の中に暮らす人たちなら、想像も付かない人間否定のドラマがあるだろうね。彼らの喜びようは有名だ。きっと海外でも珍しい光景として流通している。

MINAMATAみたいにな。日本人にだけ、それが分からない。その日本精神をどれだけの嫌悪を持って見られているか、なんて分からないのだ。福島の原発被害なんて、もうアホにされっぱなしなんやで。信用も何も、話にならないレベルなんやで。汚染水の放流とかな。日本人に罪の意識はない。日本の原理主義を明らかにしているのだ。まず言葉を持たないか。自分の言葉がないと、思考も繋がりもないだろう。

動物じゃないんだからさ、意思を伝える、主張する人間性を持てたらと思うんだ。海外には『ソクラテスの弁明』があって、それぞれに理解のレベルがあって議論になる。Discuss、ディスカッションという。日本人には苦手な分野だ。実は私もそうなんやで。反骨とか反抗でもいいやないか。自分の考えを紡いでみないか。知らぬ間に摺り込まれた受け売りの言葉だけでは、薄っぺらな人間として、アホにされるだけやで。風力発電に反対しよう。エライ詐欺やで。