日本だけ、異常な弾圧が行われている。

日吉フミコ議員が、水俣市議会で水銀被害の事をしゃべると懲罰議会が繰り返された。言ってはならない発言だったから。そして小便を掛けられたり、石を投げつけられたという。水俣病の本を読むと、当時の悲惨な状況がよく分かる。45年前、私が学生時代にも賑やかにやっていたからね。ちょうどその周辺から来た学生がいて、状況を聞いていた。ヒロシマから来た人もいて、被害者差別がすごいんだとか。

彼らには共通する被害意識があって、まだその心模様を言葉で話すだけの会話もモドカシイものだった。お互いに若かったからね。今頃になって、彼らの言葉の意味がドスンッ、と腑に落ちる。私もピカピカの風力被害に苦しんでいる。風車病になったら、どんな目に遭うのかは谷口愛子さんの記事を見たらよく分かるだろう。私はその場面を見ながら『風力発電の被害』を書いた。ボロボロやなぁ。

日本人とは、こんなにもダメだったなんて、他の人たちにもよく分かったんと違うか。サラリーマン時代に、上司が高浜原発の建設課長をしていた人がいた。私も原発の仕事をしていた。会社の仕事だからね、そういう時代だったんだよ。その上司にしろ陸軍士官学校卒の関東軍士官で終戦になった経緯がある。勝って負ける戦もあれば、負けて勝つ戦争もある、とか言っていた。アメリカ製の英語で書かれた図面を持って原発建設に挑んだという。

随分と複雑な心境だったらしい。よく北ノ新地のお初天神の境内にある小料理屋で酒を飲んだ。鹿島や大成といった企業幹部も利用していた。帰りにカネを払う人はいない。そういうシステムだった。原発地域には、どこでも地域対策がきっちり行われているでしょ。言論統制、思想管理、もちろん警察が関係する。何があっても、誰も何も言えない仕組みが構築されている。反原発なんてアナタ、嘘に決まっているやないか。

その風景は、そのまま各地の風力反対のペテンになっていた。だからジャーナリストたちにはそんなカラクリは見え透いていたのだ。私にも分かったさ。意外なことに、畑地区の被害地でも、人々は地域対策のために投入された環境運動家を厳しく拒否していた。まだ私に対する排除命令は届いていなかったんだろう。人々の緊張した、不安な様子がどこにでもあった。h24年の4月になると、もうすっかり出来上がっていたけどな。

まだ泣き叫ぶ人がいたかな。原発と再エネはコインの裏表、同じムラやで、という。どちらもすべて税金だよ。何やってんだろ❓ 何のために、と思うのは私だけではない。北陸三県の原発銀座は、この地域独特な精神性を見せている。その地域の人でも、いざり、コソ泥、強盗と、自嘲癖になっている。私にはどうしても馴染めない言葉だけど。この世界に生きたものだけの心模様なんかね。それじゃ、やはり風力にも似たような表現があるだろう。

「土砂崩れが心配です」とかさ。あるいは御用学者を呼んできて「一般の人に影響はないですよ」と締めくくる。こんなのばっかしだよ。その上で低周波被害に苦しむ人を叩きまくるのだ。鬼か! と思ったよ。「あの人はウソをついている」とかね。ボロクソよ。「市民風車に被害はない」と繰り返す。悪い人には見えないのに、自称・環境運動に凝り固まっている。地獄への通路は善意に満ちている、とかね。

哀れなのは、被害者との対立が見られないことだ。被害は認められない。だって土砂崩れじゃないでしょ。更年期障害なんだよ。幼児にも被害があると言うけれど、子供には何が悪いのか分からないからね。大人が気が付く以外にはない。ニーナビアポントの『Wind Turbine Syndrome』にはそう書いてある。産経には昨日の続きで、中国企業との癒着が指摘されていた。ドップリやないか。どうだ、という訳だ。

政治も行政も、知っていてやっている。悪い悪い。真っ逆さまに転落していく。議員は兼職で、本職は工作員だったりね。太平洋戦争でもありましたな。同じ風景やで。日本人はすっかり思考を奪われている。インテリジェンスの、策略の怖さが分からない。もともとそんな高尚な「考え」はなかったのかもしれないね。由良町の風力被害の残骸を見て、つくづくそう思っている。人々は、とても幸せそうだよ。あの戦争の時でもな。