由良町を助けてくれないか。

水俣病の日吉フミコ議員は13年間も水俣病の被害を訴え続けました。しかし彼女の本によると、水俣市に住んでいながら水俣病のことを全く知らなかったらしいのです。

たまたま、偶然、被害者を収容している病院に知人を訪ねたことがすべてを知るきっかけになって衝撃を受けたと書いてあります。日吉フミコ議員がいなければ水俣病はまた違った歴史になったかもしれません。

腐った魚を食べたから。差別地域の人だから。風評被害になる。たくさんの弾圧を受けたと聞いています。被害者は抗議の声さえ無視されて亡くなっていきました。前ページに書いた谷口さんの投稿も彼女のことだけではありません。

たくさんの加害者が取り囲みました。平成24年5月、谷口さんから怒りの電話がありました。「由良さんが、私のことを気違いだと言っていると、12人の人が知らせてくれました」

ちょうど風力反対の署名を集めている時でした。環境運動家たちからは、「反対運動を潰されるから止めろ」と何度も抗議の電話がありました。被害地域の畑地区の運動家からは三日続けて「反対なんかさせるもんか。早く止めろ」と口汚く叫ばれました。

あるいは親父の友達で応援してくれている人からも、「何度も由良さんの悪口を言ってくる。12万円貸してほしいと言ったんか? お金が目的なんか」と怒ったように電話がありました。まだまだ物語は続きますけどね。

私は最初、何が起こっているのか返答に苦しんだものでした。その後、被害者が亡くなると議員たちは手を叩いて喜ぶ姿を見ることになりました。

私が由良町議会で抗議すると、私を取り囲み、遠山の金さんに出てくる白洲の悪党のように、口々に私を汚い言葉で攻め立てるのです。それはすごいものでした。

被害地域の畑地区でさえ、被害者を弾圧して貶めました。中には暴力的に脅しつけた人もいたと聞いています。そのような乱暴者もいました。手先になって権力をふるうことが面白かったのです。

私が住む門前地区も、それはすごいものでした。区長や役員たちが5~6人で取り囲んで口汚く責めるのです。わざわざ我が家に押しかけて怒りに来ることもありました。

今も冷酷な仕打ちは続いています。汐見先生が各地で迫害されていることも初めから何度となく当の本人から聞かされていました。だから伊豆の被害地では、被害者たちはアホらしくなって集団で逃げ出したのです。

高学歴の人、高収入の人も多く、初めのうちは実に几帳面な綿密な抗議文を作成していました。ハイレベルな被害報告でした。結局ウソツキだけが後に残りました。今、バイクのツーリングコースだとかで、被害者を弾圧して喜んでいます。これが再エネの実態です。

被害者を取り囲んで管理する。抗議するものを弾圧して黙らせる。風力発電事業とは、これが一番の仕事になっています。由良町役場や県の環境課など、被害否定の重要な先端業務を抱えています。

「精神疾患のもの」としてバカにして人物を破壊するのです。環境省の報告書の通りです。今、由良町で風力発電の被害を訴えているのは私一人です。他にもいるかもしれませんが、声に出して言う人はいません。

全国には風力発電の計画に対して反対運動をしている地域が多々あります。情報提供とか言いながら低周波被害の否定を繰り返す環境運動家がいます。「ドイツでは・」と繰り返すのです。

先日の産経新聞の『正論』でさえ、「ドイツに見習って・」とありました。70年前のナチスドイツと同盟した失敗を知らんふりして、よくもそんな無責任なこと書くものよ。

政府の方針とは、それほどバカバカしい判断でしかありませんでした。日本の弱点でした。同じ失敗を繰り返すことを強要しています。風力発電には甚大な被害があることは事実です。

人を苦しめて、殺しておいて、それが何で面白いものか。この恐ろしい風力事業の実態を調査もせずに、被害者をひたすら弾圧することは人道上、許されることではありません。

私はこれまで弾圧されたことを忘れない。苦しみながら私を鷲掴みにして死んでいった人のことは忘れない。由良町議会は、人を入れ替えても難しいでしょう。風車を撤去するしかありません。

いったん道徳をなくすと人はどうなるか。失礼ながら水俣市の人と話してみるとよくわかります。もちろん由良町の人と話しても同じ結論になります。東伊豆町でも、伊方町でもね。「関係ない」と。

これは非常に恥ずかしいことなのです。国際化されて外国の人と交流が進んでいくと、バカにされるんですよ。野蛮人と。モラルやマナーは、最低限のルールです。