和歌山で反対するのは私一人か。

私はH.23年から被害者たちから依頼を受けて風力発電の低周波被害を訴えてきました。

重症の被害者が次々と亡くなっていく中で、町当局や県環境課、事業者のあまりの被害者否定と攻撃に驚いてきたものでした。「アイちゃんはガンで死んだんや、わっはっはっ」と愉快に笑いながら私に言う人が十数人もいました。

それぞれ積極的に私をバカにするために言い寄ってくるのです。風力発電の被害で、歯止めの利かない悲惨なものへと弾圧が加えられていく瞬間でした。

人ではありませんでした。被害者排除、被害者否定が前提の風力事業でした。インターネットでは、風力発電の低周波被害者を否定するページであふれています。

みんな理由もなくやっているわけではありません。汚い金が動いているはずです。前ページでは小林先生の講演をアップしました。

環境省の罪、メディアの罪は重く、まともな状態ではありません。民主主義ではありません。少なくとも低周波被害者は「民」ではありませんでした。

「民」とはだれなのか。添付記事は近くの山々に風力が建設されるというものです。あるいは政治運動として再エネを推進するという記事です。

彼らは風力被害のあることは分かっているのです。知っていて被害者を無視して喜んでいるのです。超党派ですから共産党も公明党も自民党もありません。

大政翼賛会です。誰も悪いとは思ったこともないでしょう。責任感はありません。また北海道での風力反対の記事を紹介しました。

日本では市民参加や政治参加による風力反対は困難になっているのに、うらやましい限りです。和歌山では、たぶん私一人です。

「考える会」などといって大阪弁での「考えときまひょ」という意味での行政の提灯持ちたちが被害を隠ぺいしてきました。

反原発や野鳥の会など、出鱈目もいいところの環境運動家のオチョクリでした。福島原発の惨事便乗でした。彼らは考えるということがない。

受け売りの言葉だけで高圧的に行政の悪を自分の意見として叫ぶだけでした。これが環境運動家の実態です。もうすぐ6月議会が始まります。

今も風力被害に苦しむ人たちがいます。私に対する弾圧はすさまじく、表面上、誰も味方になる人はいません。

えらい役をもらいました。社会を見つめてみると、繋がり、などというものがいかに脆いものだったことか。人々は簡単にコントロールされていました。